風を切って、空を蹴り上げる。

 鮮やかに雲を引いて急降下する軌跡を、いくつもの霊符が切り裂く。
 しかし命中したのは空気と雲と魔力の残滓だけで、轟、と鋭い音を立てて急旋回する黒
い影を追尾しきれず符は力を失い、舞い散る木の葉のように落ちてゆく。
 黒の引く白い一線は蒼穹に緩やかな弧を描き、なおも絡み合うように追いつづける追尾
弾をからかうようにかわしながら、やがて空を分ける境界を生んだ。
 雲と雲をつなげる糸のようなそれは、一種の結界のように、霊符の射手である赤と白の
姿―――霊夢の姿を取り巻いていた。
 それを突き破らんと霊符が滑らかな曲線を紡ぎ、狙い違わず疾走する敵影へと突撃して
いったが、彼女の繰り返す加速と減速と加速に対応しきれず、次々と哀れに墜落してしま
う。

 そして、影が空へと昇る。飛翔する。

 限りなく駆け上がる一条の閃光を、同じく閃光と化して針が追いかける。
 針は直線軌道、すなわち最短距離で疾走するがその軌跡に届くことは無く、やがて重力
に引かれて雨のように零れ落ちていく。
 たなびいていた雲が消えると、太陽を背にして大きく霊夢のはるか上を旋回し、再び降
下しながら霊夢と同じ位置へ。
 そこへすかさず霊符を放つが、
「はははっ、それじゃまだまだ当たってやれないぜ!」
 勝ち誇るような声。
 鮮やかに雲を引き、執拗な誘導を華麗に振り払って、瞬速の弾頭を神速で引き離した黒
い影、それは魔理沙だった。
 彼女は加速すると必死に喰らいつく追尾弾をあっさり振り払い、今度は攻撃へと転ずる。
 身体を横倒しに一気に箒の機首を引き起こし、速度はそのままで、霊夢を惑星に自身を
衛星に見立てて急旋回。
 片手を放して魔力を集中し、自身の望む形にして、撃つ。
 ―――マジックミサイル。
 彼女の信条をかたちにしたような高速弾がめくらめっぽうとばら撒かれ、その一つ一つ
が鮮やかな翡翠色の残像を残し、霊夢へと飛翔する。
「あんたこそ、ばらまくだけじゃ当たらないわよ―――はっ」
 圧倒的な速度と密度の爆弾を前に、しかし霊夢は焦らない。一瞬だけ放たれたミサイル
の全てを視界に収めると、小さく息を吐き、止めて、あとは身を翻すだけ。
 そして展開されるのは派手な神楽舞の如き回避。
 彼女が身体をひねり、踊るだけでマジックミサイルはすべて透過するように避けられる。
 触れることすら叶わず、全てが素通り。
 最小限の動作で、風に乗るように、放たれる弾丸と弾丸の隙間を見切っているのだ。
 その鮮やかな舞いの前に、標的を失った魔弾が空に溶けて消えた。
「ほら、ね……それ行け!」
 無欠の回避。それに満足したのか、笑顔が浮かぶ。
 その表情のまま霊夢は大きく腕を振りかぶり、霊符を放った。
 一瞬のうちに加速して残像を残すそれは、弧を描きながら再び魔理沙へと襲い掛かる。
「ちぇ。一発くらい当たった方が盛り上がるもんだぜ」
「今回は当たったら負け、って話でしょうが。 いきなり負けてどうするのよ馬鹿」
「ち、ばれたか」
 迫る霊符に対し、魔理沙の箒が加速する。しかし今度は振り払うには近すぎるし、加速
するには遅い。
 雲も引けず、先ほどより速度も高度も足りない黒い姿に、雪辱を晴らすべしと数を増や
したアミュレットが上下左右を覆い、さらに加速。
 押しつぶすように札がなだれ込んだ。
 竜巻を描いて魔理沙と言う一点に収束する猛威の前に、逃げ道はもはやない。
 だから、
「甘い甘いっ」
 魔理沙は急激に減速した。
 速度のついた誘導弾がその突然の挙動に反応できず、魔理沙を追い越す形で通り過ぎて
いく。慌てて追いかけようとしてもすでに遅い。
 その時にはすでに、魔理沙が放った特大の火薬―――マジックナパームが炸裂し、アミ
ュレットの群れは無残にも一気に焼き払われた。
「はっはっは。お前の方もただ追いかけるだけじゃ当たらないぜ」
 箒から手を離し、両手を腰に当てて高笑いする。
 危険な目にあった気分を「肝が冷えた」と評する場合がある。だが彼女にはそんなそぶ
りはない。どこかに肝を置いてきたかのような振る舞いだ。
「まったく、無茶な避け方するんだから」
 その様子に霊夢はやや憮然としながら、すでに最大速度の領域に乗っている魔理沙を追
いかける。といっても、せいぜい向きを合わせて弾を撃つ、移動砲台のようなことくらい
しか出来ない。あの速度に追いつけるのはそれこそ光か流星だ。
「とりあえずは少しでも足を止められればいいんだけど、っと!!」
 呟いて、身体をとっさにのけぞらせた。遅れて、背中に冷や汗を感じる。
 その予感は正解で、ちょうどのけぞった一瞬後に、赤から青、青から緑、そして緑から
黄色へ、刻一刻と色を変えつづける光が高い熱量を持って駆け抜ける。
 目に映ったのは一瞬。それが雲を貫きはるか彼方に飛び去って、山に当たって爆発。噴
火したような灰色の煙を立ち上らせた。
 魔理沙お得意のレーザーだ。
「綺麗なもんだろ? 見惚れて喰らってくれるとラッキーなんだがな、っと!」
「あんな破壊光線だれが見惚れるか!
 ……ああもう、動いてりゃ当たらないけどめんどくさいなあ」
 次々と飛んでくる光を風に乗るようにかわしながら、相変わらず猛スピードで飛び回る
魔理沙を睨む。ため息交じりに苛立ちを口にするものの、どうせ聞こえてはいないだろう。
 反撃にまたアミュレットを投げつけてやろうかと思ったが、取り出そうとした瞬間を狙
ってまた熱線を飛ばしてくるのでどうもうかつに仕掛けられない。
 その後も何度か反撃に転じようとして、後の先を取られる形が続く。
 仕掛けようとするたびに、レーザーが飛んでくるので攻撃を止めて回避に専念せざるを
得ない。その軌道は単純だが、速度が速すぎる。
「……まいったなぁ。あんまりこの状態は良くないわね」
 困ったように、呟く。
 ―――結果として、霊夢はまったく攻撃が出来ていない。
 レーザーは不意を突かれればまずかわせない代物だが、発射までに一瞬かかることから
視界に納めてさえいれば楽に避けられるものだ。
 しかし、それをこうもいやなタイミングで連射されていては避けることにばかり気を取
られ、攻撃をする時間が取れない。流し込まれる、鮮やかな光の洪水に押し流されないよ
うにするので精一杯だ。
 魔理沙が不敵な笑いを浮かべた。今度こそ勝って色々させてやる、という考えがありあ
りと見える素直な笑いだ。どうやら霊夢は順調に追い詰められているらしい。
「みえみえなんだけどなぁ……うわわわ」
 苦笑して、かっとんで来た熱線をあわてて避ける。その後を追って雨のように降り注ぐ
光をすり抜けて、魔理沙を見失わないようにとひたすら動きつづける。
 何か決定的な一打を撃とうとしているのはわかる。しかしそれが何なのかはわからない
し、抜け出すには隙が見えない。
 最短の速度で到達する攻撃と作戦に、傾向と対策が追いつかないのだ。
 上手いなあ、と霊夢は心中でだけ感嘆を口にした。口に出す余裕はまだあるが、今は油
断できない。
「さーあ、もう一丁いくか!」
 魔理沙が片手でばしばしと光熱波を撃ち込みながら、もう片方の手がざらりと紙のよう
な束をエプロンドレスのポケットから引き出す。六紡星に複雑な文字を走らせたそれは、
彼女お手製の護符、一般にタリスマンとか呼ばれている能動的な御守りだ。簡潔に言えば
攻撃は最大の防御を魔法で表したもの。
 この場合の効果は―――
「昼の明星、まとめて踊れ!」
 魔理沙は簡潔な言葉で、符に刻まれていた魔法を起動し、惜しげもなく全部投げ放つ。
 その護符は季節はずれの吹雪となって空と風に乗って散っていくと、光を放ち、水晶の
ような球体へと転じた。
 使い魔、あるいは式神。
 人工的に作ったものだろうからその能力は高くないと思われるが、この状況ではまずい。
(包囲する気!?)
 霊夢の予測通り、それが蜘蛛が巣を張るような軌道を描く。
 星を取り巻く星座のように霊夢を遠間から狙うと、散発的に星型の弾を撃ち出し始めた。
「うわ、っとと!! ……結構考えるわね、もう!!」
 量と密度そのものは、大したことがない。しかしそれが逆に意識を分散させてしまう。
 なまじ、すきまを抜けていけるだけに、塊と考えて避けていくのが難しい。
 その包囲陣から逃れようにも、先ほどから縦横無尽に飛び回っている魔理沙から絶えず
放たれるレーザーが霊夢の行く手を阻みつづけ、思うように動けない。
 それは、魔理沙にとってこの上ない好機。
 もちろん、彼女は迷わなかった。
「金の天秤へ光を乗せて、星の乙女よ力を示せ!」
 すかさず即興の呪を紡ぐ。
 呼応して二十を超える使い魔たちが輝き、
 ―――レーザー、一斉射撃。
 霊夢が、目を見開いた。精一杯の驚愕。
 そこへ、針を突き立てるように光が殺到し、
「ええ!? あ、ちょ、待っ……!!」
 悲鳴めいた言葉。しかしそれが言い終わる前に、
 ぶつかり合った魔力が、爆発。

 ごかぁぁぁん、と雷の落ちたような音が響いた。




「……ふーう」
 もうもうと立ち込める奇妙な色の煙を見ながら、魔理沙は息を吐いて、レーザーの撃ち
すぎで熱くて痛い手を下ろした。あれだけ休まず連発していれば、それなりの負担は来る
ものだ。
 その手をぶんぶんと空冷するように上下へ振りながら、じっと煙の向こう側を見つめる。
一発でも当てられれば勝ち、が今回の弾幕ごっこのルールだから、その確認は早めにして
おきたかった。
「……今度こそ連敗脱出、か?」
 高速移動とレーザーの連射、および周囲に配置した使い魔からの威嚇射撃による回避機
動の限定、そしてとどめの全方向からの同時一斉射撃。まともに撃ってもまず当たらない
霊夢への、魔理沙が数多く考えたスペルの一つ、その最新のものだった。
 たとえ避けきれたとしても、体制を崩したところにすかさず本体、魔理沙自身のレーザ
ーを一撃当てればいい―――今回は出番がなかったが―――のだから、おそらく今までの
中でも二番目の出来だ。一番は、まあ言うまでも無い。
 ………実を言えば連敗続きが悔しくてそのあまり、やけくそ気味でアースライトレイに
原型すら留めない大改造をやったところ、なんともいい感じなものが出来てしまったとい
うのが真相ではあるが、これはちょっと恥ずかしいので内緒だ。
 そもそもアースライトレイはあまり使いたくないスペルの一つだ。自分が撃たれている
ようで背筋がぞわぞわする。
「………ま、結果オーライだ」
 独白して、魔理沙自身にとってはあまり覚えていたくない記憶をしまいこむと、晴れて
いく煙を見やる。じっと、透き通った海の底を見通すように。
 きらり、と何かが光った。
「ん、何……ってうわぁっ!!」
 それが何なのかを把握すると同時に、魔理沙は全身へ走った危機的な寒気に従い最速で
急降下した。
 箒の機首を殴りつけるように押し下げると、風避けの結界があまりの負荷に悲鳴をあげ
て震え、そして魔理沙の帽子をかすめるように白い奔流が雪崩れ込んでいった。
 強引に妖怪を調伏するための、霊夢が良く使っている白木の針。
 それが、錯覚かもしれないが数百本、一瞬前までいた魔理沙を狙っていた。少しでも遅
れていたら喪服を着た白髪の針鼠になっていたところだった。
「…………よーくーもーやったわねー」
 針の後を追って飛んでくる、幽鬼のような声。
 それを聞いた瞬間、首根っこをつかまれて持ち上げられて絞められているような恐怖感
が魔理沙の全身に走った。例えるならば、背骨を全部つららへと取り替えたような寒気。
つまり大変精神衛生上よろしくない。
 すっかり溶けて消えた煙幕の向こう。透き通るような色をした空に影を落とす何か。
 霊夢がいた。
 服に焦げ跡やほつれたような個所はあるものの、直撃は避けたようだ。
 しかし、その表情は形容しがたい。
 近いものを挙げるなら、呆れと怒りと獲物を追い詰めた時の嗜虐的な笑みを素敵に混ぜ
合わせた挙句に合体事故を起こしたような、見た目は満面の笑顔なのに恐怖を覚えるとい
う、矛盾しまくった表情だった。
「おいおい、あれを避けたのか? さすがに反則以上だぜ、それ」
 あはははは、と愛想笑いをしつつ、魔理沙がゆっくりと霊夢から距離を取る。
 ……まずい、非常にまずい。
 例えるならば。
 竜の逆鱗に触れるどころではなく、
 それを剃り残した毛を抜くかの如く引っぺがした。
 そのくらいだった。
「うふふふふふ……色々熱かったり痛かったり服がぼろぼろになったりしたけどね。てい
うかあんなの直撃したら死んじゃうかと思ったし」
「いやいや、一応加減はした……気も……いやまあ、その辺はガッツで何とか」
「ならないわよ」
 満面の笑顔を浮かべて、霊夢がふよふよと近づいてくる。その手には、気がつくとお払
い棒が二本。さらにはさっきまで無かった陰陽玉まで展開されていた。
 危機レベルは際限なく上昇していた。
 ―――さて、どうしよう。
 今後の方策を考えるために、脳細胞を全て動員してサミットを開く。
 議題は「いかにしてこの危機的状況を回避するか」。
 ……一瞬、全会一致で可決。

 「尻尾巻いて逃げろ」。

「おおっと急用を思い出した! というか今思いついてでっちあげた! いや瓢箪から駒
が出るかも知れないからやっぱり思い出したで正解だな! というわけでこの勝負いった
ん預けむぎゅ!?」
 今まさにその決定事項を実行しようとした矢先。
 鮮やかな雲の円を描きながら箒を展開させて加速しようとした魔理沙は奇妙な声を上げ
て何かにぶつかった。何というか、ガラスに顔を押し付けたような状態になっている。速
度があまり出てなかったおかげで、あまり痛くは無い。
「……結界?」
 呆然として目を凝らすと、霊夢を中心に結界が生まれている。複雑な紋様を刻んだガラ
ス張りの篭目が、かすかに揺らいで存在を教えていた。
「あんたが張った煙幕に隠れて仕掛けといたの。
 ―――さあ、覚悟してね? 大丈夫、きっと死なないから♪」
 にっこり。
 ……死を覚悟した。
「いやちょっとまてそれは……だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 間髪いれず、怒涛の量で針やら札やら玉やらが飛んでくる。
 まるで土石流。飲み込まれたら確実に白玉楼宴会に一命様ご案内の乱流だ。
 それを全力加速、燃費無視の速度で大きく逃れる。それを追って、撃ち出される針が魔
理沙の軌跡を貫き、札が弧を描いて魔理沙へと襲い掛かる。
「くそ、やるしかないか……行け!!」
 針から逃げ回り、札を掻い潜りつつ、魔理沙は再び使い魔を起動させる。
 まだ配置されたまま生きているそれは、動かぬまま魔理沙への対空砲火を陰陽玉に任せ
ている霊夢へ、全方位からのレーザー攻撃を仕掛けるはずだった。
「いつまでも、ほっとくわけないでしょ!?」
 しかし不敵な声。合わせて霊夢がくるりと舞った。
 白の筋が走り、
 ざん、と何かが突き刺さるような音。
 眩い光と雷の如き轟音。魔力を詰めた器が破壊されたときと全く同じ現象。
 それは、使い魔が全て爆散したことの現れだった。
 あの一瞬、全ての使い魔の位置を確認すると同時に、目にもとまらぬ速さで針を打ち込
んだのだと気づいたとき、魔理沙は余裕を全部消費した。
「うお!? ちょ、おま、本気になってないか!?」
「勝負事の最中に語る舌は持たないわ。
 ……さあ、反撃開始よ! あんたを神社の桜の一本にしてやるわ!!」
「おまえそりゃ殺して埋めるっていってるのと同じだぁーっ!!」
 嬉々とした邪悪な声に、魔理沙はちょっと泣きそうになった。さすがに殺されはしない
だろうが、ものすごい目に合わされるに違いないという絶望的な確信があった。
 ……ああ、もう少しレーザーの出力を絞っておけばよかった。
 どこか冷静にそんなことを反省した。
 しかし後の祭りだったので忘れることにした。
「……『夢想封印 集』!!」
 霊夢の良く通る涼やかな声。
 スペルカード宣言。そして発動。
 陣と結界が展開され、雲をぶちまけたような白い符が押し寄せる。不規則に速度を変え
ながら、魔理沙を着実に逃げ道をふさぎ、追い詰めていく。
「こんなの今更だぜっ!!」
 それを魔理沙はぎりぎりまで引き寄せると、一気に追い抜いた。速度が変わる瞬間、一
瞬だけ符の動きが止まるという穴を付いた、豪快な回避。

 そこに、陰陽玉が飛んできた。

 霊夢ですら、昔は扱いきれずに押しつぶされたりしていたという、博麗神社のよくわか
らないけどやたら出鱈目に強力な御神体。
 それが、高速で、目の前に。
 ―――須臾の時間を用いて推測演算する。
 現在の自己が有する速度つまり運動エネルギーと激突が予測される物体の質量と速度イ
コール運動エネルギーがぶつかり合った際の結果。
 それに、一瞬馬鹿げた夢想をする。
 ぺらぺら。
 つまりギャグじゃなかったら死ぬ程度の衝撃が発生。
「……どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 奇跡的な反応だった。
 魔理沙はとっさにまたがっていた箒を振りかぶると、ありったけの魔力を込めて迫り来
る巨大な玉をぶっ叩いた。
 箒からの痺れが腕、肩を伝わり、意識までも一瞬麻痺させる。
 その甲斐あってか、ばっかーん、と快音を立ててあさっての方向へ飛んでいく陰陽玉。
「あ、あぶねー。こっちが本命だったか……ん?」
 冷や汗をぬぐって箒にまたがりなおすと、魔理沙はそこで異変に気がついた。
 霊夢がいない。
 発動中だったスペルもすでに消え去り、あとは静かな空と雲。
「ど、どこいったおい?」
 あわてて周囲を見回すが、何も見当たらない。
 と――――
 寒気が走った。
 後ろから、寒波のように吹き荒れた。
(殺気―――上から!?)
 思わず身体が反応して、後ろを振り向くと、
 霊夢がお払い棒を振りかぶっていた。
「あ」
 もう、遅かった。

 がつーん。

 額に衝撃。
 魔理沙の意識が真っ白にしびれ、直後に暗転した。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 目を開けると、黒い筋が見えた。目を動かして、一番下から一番上まで走らせる。微妙
にゆがんだ、雲を戯画にしたような模様が、ずっと続いている。
 途中、黒い目玉のようなものが見えてぎょっとしたが、それが木の節であることに気づ
いて安堵する。ということは、あの模様は木目らしい。
 そこで、どうやら自分は天井を見上げているようだ、と魔理沙は悟った。
「…………あー?」
 よく事情が飲み込めない。そもそもどうして寝転がっているのか。しかもご丁寧に布団
まで丁寧に敷かれている。
 思わず衣服を確かめるが、別段異常はない。服は破れていないし、大きな怪我もない。
 それに安心した魔理沙は身を起こそうとして、
「あっ………つ、くぅ〜」
 おでこあたりの鈍痛に顔をしかめた。怪我でもしたのかと思い、思わず手で押さえると
冷たい感触。どうやら湿布が張ってあるらしく、離した後でもしばらく独特の清涼感が続
いている。香草の一種を薬に混ぜてあるようで、さわやかな匂いが鼻をくすぐった。
 魔理沙はしばらくじっとして痛みがおさまるのを待つと、とりあえず視界に入ったもの
を確認していくことにした。
 布団。畳。障子。風鈴。床の間。卓袱台。外に見えるものは赤い鳥居と大きな本殿。
 なんだか見覚えが―――というより、かなり見慣れている。ということは、
「ああ、やっと目が覚めた。もう、心配かけないでよ」
 びくり、と身体を跳ねさせた。随分と馴染み深い声。首だけをそっちへと曲げた。
 霊夢が、薬箱と持ってふすまを開けていた。
 箱の上にはお盆とお茶、茶菓子も載っている。たぶん見舞いのつもりなのかもしれない。
 やはり思いっきり殴ったのを気にしているかもしれない。失神するとは霊夢どころかそ
の当人すら考えていなかった事態であることだし。
「……………」
「いや、えーと。何してるのよ」
 しかし、魔理沙は気がつくとあとずさっていた。本能的にまだ恐怖が残っているらしい。
あんな笑顔、確かに下手すると何処かの肝好きよりもトラウマになる。
「いやまあ、その。もういいのか?」
「一発殴ったらすっきりしたから」
 あっさりといいつつ、霊夢は魔理沙の前まで来てかがみこむと、薬箱を開ける。意外と
丁寧に整理されていた。そこそこ使い慣れているのだろう。
 その様子と穏やかな表情に、魔理沙は内心ほっとした。どうやら埋められるという最悪
の事態は無いらしい。
 ……ちなみに、持ってこられたお茶の色は儚いくらいに薄かった。
「ほら、おでこ出しなさい。湿布替えるから」
「ん。……いててて、もうすこしやさしく」
「油断したそっちが悪い。我慢しな」
 湿布が剥がすときに引っ付いて痛かったが、その辺は霊夢の手際がよかったので少しだ
けで済んだ。その手際のよさに、口には出さないで感謝することにした。
 ひんやりとした感触に目を閉じて、改めて勝負の内容を思い返す。
 原因はまあ、元々大したことのない件で―――鍋に入れる味噌とか、ちょっと神社壊し
たりとか―――弾幕ごっこすることが多いから、これはいつも通りのことだ。せいぜいち
ょっとした口喧嘩か何かだろう。……そういえば、賽銭箱が空であることについてからか
った覚えがある。ひょっとしたらそれかも知れない。
 そして過程。これもまあ、最後を除けばかなり善戦している。特に全方位射撃の下りは
魔理沙が油断しなければ勝っていただろうと思う。爆発に惑わされて、決めの一撃は必要
ないとした判断が間違いだった。今度は爆風が出ないように改良しようと記憶しておく。

 そして、肝心の結果。
 今までの戦歴を指折り数え―――
 今日でなんと八連敗。

「……うがー! また負けたー!!」
「んきゃっ!?」
 すぱーん、と膝に乗っけていた布団を思いっきり叩いて叫ぶ。その勢いに額の湿布が落
ち、霊夢は驚いて尻餅をついてしまった。
「なによもう、いきなり叫ぶな!! んでもって気づくのが遅いわよ!!」
「だってお前八連敗だぞ新記録更新だぞ!? 麻雀だったら役満だぜ!?」
「その例えだとあんたの場合は八回連続で振り込みでしょ。むしろハコテンよ」
「あー、それはやばいな……今日はいけると思ったんだがなぁ」
 大きく息を吐いて、魔理沙は頭を抱え込んでうずくまってしまった。霊夢は、まあいつ
ものことなので気にしなかった。どうせ少しすればあっけらかんと立ち直るのだ。前向き
とも能天気とも言える性格。それが、ある意味で魔理沙を努力家たらしめているのかもし
れない。
 後悔するよりも前へ。そういう考え方は、霊夢も嫌いではない。
 ―――まあ、そういうことをうかつに口にすると照れてるのか恥ずかしいのか怒ってる
のかわからない反応を返されてしまうのだが。どうやら負けず嫌いのくせに努力している
ことを知られるのが好きではないらしい。
 そんな魔理沙に、そういう部分は妙に女の子らしいなと霊夢は呆れている。普段はいい
感じにねじくれた言動ばかりしているというのに。
「一応加減はしたんだけどね。まさか気絶するとは思わなかったわ、もう」
 ちょっとヤワなんじゃないの、などと理不尽なことを言い、霊夢はお茶をすすった。当
然魔理沙も憮然とした表情で抗弁する。
「おまえなぁ、フルスイングしといて加減も乗除もないだろ。傷物になったらどうする気
だ。乙女の肌は繊細なんだぜ?」
「繊細にしては突撃戦法ばかりね」
「それが私の持ち味だ」
 悪びれもせず、胸を張って豪語する。
 その部位を魔理沙が強調してもあまり変わらないような気もするが、そこは巫女の情け
で言わないことにした。
 ―――霊夢本人も身につまされるからだ。
「持ち味って言っても、勝てなきゃ意味無いんじゃない?」
「……む」
 からかい半分の言葉だったが、魔理沙には痛い部分だったようだ。確かに、持ち味を生
かしているにしては、ここのところ負けが込んでいるわけだし。霊夢の八連勝だ。
「自然って言うのはね」
「なんだいきなり」
 霊夢の話がいきなり始まった。
 魔理沙は問いただしてみたが、それは無視されて話が続いた。
「人間の目には当たり前みたいに映ってるけど、実は結構ひねくれてるものなのよ。
 ……つまり、あるがままにある時点でもう真っ直ぐじゃないの」
「ああ、私についてか? 今さらだぜ」
「今さらでもあんた忘れるでしょ。ま、結論から言うともう少し捩れて見なさいってこと。
完全な直線って言うのは、逆に不自然なの」
「ユークリッド幾何学を否定するなよ」
「否定してないわよ。ただ世界は非ユークリッドで出来てるのよ。地球は丸いもの」
「…………お前からそんなディレッタント的な発言が出るだなんて。明日辺り結界に穴が
空くな。だいたい直径百メートルくらいの」
「うるさい黙れ。頭が年中春だとか言うんじゃない」
「言ってないぜ別に。……で、その前置きはいいとして。結論は?」
「だからあんたは弱いのよ」
 うわ。
 あまりにも単刀直入、脾腹辺りを一突きにするような忌憚ない結論に魔理沙はうめいた。
こっちは一応怪我人なんだから手加減して欲しいものだ。
 まあ、霊夢がそんな性質の人間でないことは百も千も承知しているし、こんな言葉もい
つものことだ。せいぜいが挨拶代わり。
 けれど、それにしてもやっぱり―――
 ここまでいわれちゃ魔法使いがすたる。
「……言ったな」
 だから、魔理沙は身を起こした。さっきまで寝込んでたとは思えない、きびきびした動
きだ。適当に髪を直して、近くに転がっていた帽子を被ると、立ち上がる。
「あー、箒は何処だ?」
「あら、もう行くの? まだ痛いんじゃ―――」
 気遣わしげなその言葉は、魔理沙の目を見て止まった。
 魔理沙は、ゆっくりと霊夢へ目を向けて、言った。

「そこまで言われちゃ私の名折れだぜ。
 ―――そうだな、一週間。一週間だ。それで、お前に、克つ」

 魔理沙の目は、久方ぶりの強大な敵に燃えていた。
 闘争心、克己心、その他もろもろの熱い感情が痛みを麻痺させているのだ。
 こんな気分は、初めて霊夢に負けたとき以来だった。
「…………」
 その目を見て何を思ったかは分からないが、霊夢は何も言わなかった。ただ、かすかな
汗が見える。彼女は、自分が火をつけてしまったことを悟ったのだろうか。
 霊夢と同じく、霧を晴らし、春を奪い返し、月を砕き、鬼と渡り合った、
 幻想郷、もう一人の最強に。
 魔理沙は不敵な笑みを浮かべると、
「…………ふ、覚悟しと」
「あのさ、今日の夕御飯とお風呂の用意、あんたの番なんだけど」


 ―――こんちくしょう。


 魔理沙は泣いた。かなり本気で。




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ENTRANCE
INDEX






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