迷う御霊は何処へ往く 迷う御霊は何処へ逝く

  外の御霊は外の国 内の御霊は内の郷

  高天原は両に在り 迷う焔火 境越す

  霊を博する麗なる夢に 水先任せ 境越す




 外は、冬の終わりも近いというのに珍しく吹雪いていた。
 幻想郷は、四季はあっても激しい自然の猛威は少ない。台風は一年に一度来るか来ない
かの頻度だし、豪雨も高波もそうそうあるものではない。地震は、どこか他の土地と比べ
れば多いかもしれない。雪は高く積もってもこんな吹雪になることは珍しい。
 こんな時は、おかしなことがどこかで起きているのだろうと、風と雪が家を叩く音を聞
きながらベッドの中でまどろんでいる魔理沙は思った。シーツと毛布に包まった時刻から
はそこそこ時間が経っている。しかし、外の騒がしさで半端に眠れない。
「……………ん、む」
 明かりは全て消え、外の雪がほのかに光るだけの暗さしかない部屋で、覚醒と鎮静の境
界に魔理沙はいた。それは心地好い場所だったが、このまま眠れないというのは気分が良
くないのか、時折悩ましげな声を上げて寝返りを打っている。
 眠れないならば起きて研究の続きをするべきか、とも彼女は夢現の中で思ったが、今度
は寒いのが問題になる。寒いと動きたくなくなり、そして眠くなって布団に戻るだろう。
「…………むう」
 しかし、今度は眠れないままだと大変身体によろしくない。翌朝はひどく調子が悪いも
のになるだろう。そして、それをあの人形師と巫女にからかわれる確率が九割。それだけ
は、なるべく避けたかった。いつもからかっているだけに、からかわれると弱い。
 ならば、音をどうにかするしかないが、結界を張るのは手間が掛かるし寒い。それに張
っている間に吹雪がやんでしまうかも知れない。そうなると非常に無駄骨だ。もとより損
得勘定など知ったことではないが、寒い思いをすることだけは嫌だ。割と切実に。
「…………ん」
 結局、頭まですっぽりと包まるしかないと半分寝ている頭で結論付け、魔理沙はそれを
実行することにした。毛布とシーツをまとめて引き寄せ、繭のように包まる。白いシーツ
がもこもこと動いている姿は、雪の中を泳ぎ進む野うさぎがいるようにも見えなくはない。
年相応の可愛らしさがある、とも表現できるが、それを迂闊に本人の前で言うと照れ隠し
に広域火力殲滅を喰らうのでおすすめはできない。性格はひねくれているようで真っ直ぐ
なように見えるが、乙女心と恋心は複雑らしい。
 繭を完成させると、暖かな吐息が毛布に反射して自分に戻ってくる感覚に小さな笑みを
浮かべ、魔理沙は少しずつ深いまどろみへと意識を沈殿させていく。やっと眠れるという
安堵が小さな幸福感として胸から両手両足の先まで伝達され、より暖かくなるのも眠りを
手伝っていた。
 外の音は、だんだんと小さくなって、やがて止んだ。博麗神社の帰りから突然始まり、
日付が替わってもなお騒いでいた雪と風は、あっけなく静かになった。
「………んー」
 ほとんど夢の中で、あれだけ騒いでいたのにお前らだけ先に寝るとはなにごとか、と寝
息だけで抗議して、ようやく穏やかな眠りを得て――

 あきれるほどの光が、窓辺より差し込んだ。

 何か、大きな火の玉のようなものが窓辺に現れ、暗い部屋には眩しすぎるほどの光を注
ぎ込んで通り過ぎていった。その光は幾重にも重なったシーツと毛布の繭を貫通し、魔理
沙の閉じた目に届かせ、叩き起こすには充分な光量だった。
「うわっ、何……いたっ!!」
 慌てて飛び起きたが毛布とシーツが絡まって足を取られ、そのままベッドから転げ落ち
た。恨めしげな目でシーツと毛布を乱暴にほどくと、乱れた寝間着を整えて、枕元に転が
していたミニ八卦炉に火を入れる。
 それを懐炉代わりに懐へ入れようとして――失敗。服の裾から床へ転げ落ちた。なぜか
ものすごく悲壮な顔をして胸元を見つめつつ、今度は手に持つだけにして窓に駆け寄る。
鍵は凍り付いていたが、無理矢理外して開ける。とたんに酷い寒さが吹き込んでくるが、
先ほどの寒がりようは何処へやら、気にせずに身を乗り出した。
 右へ左へと視点を動かし、見つけた。左側の森の中、白い焔火がゆらゆらと何処かへ向
かっている。それはまるで剥き出しの提灯を吊るしているようにも見え、大木も小枝も関
係なく通り抜けている。その姿に、魔理沙は見覚えがあった。確か、以前に終らない春を
終らせに冥界くんだりまで行ったときだ。
「亡霊、あるいは人魂……でもなんでだ?」
 考えようとするが、わけのわからないことは考えてもわからないと気がついて、ならば
その目で確かめるべしと動き出した。




 とりあえずできるだけの厚着をして箒に飛び乗ると、魔理沙は雪を軽く掻き分けて飛び
立った。蹴立てた時に舞い上がった雪が、青らむ銀色を帯びて再び沈殿する。
 焔火を補足しようと空高く舞い上がるが、
「うわ寒い寒い寒い寒い」
 慌てて高度を下げる。そうだ、上は空気が薄いので熱が逃げやすい。その上加速すると
気流の変動によって起きる気圧差やら何やらでさらに寒くなる。
 とりあえずかじかんだ手を箒から放し、はー、と息を吐きかけて暖め直すと、今度は結
界を張ってから上昇。自分の周囲から熱を逃がさない結界。これで、少しはましになる。
 残る寒さに身を震わせて高度を上げる。雪雲は少し切れていて、その間から月と星の光
が凍った川のように差し込んでいた。そういえば、夜中に空を飛ぶのは久しぶりだった気
がして、空の上にある光が随分と高く見えた。
 ――いつか、あそこまで行けるだろうか。
 月の光に魅せられてそんなことを思うが、本来の目的を思い出し、慌てて下を見る。雪
が白く浮かび上がる魔法の森。その一角に、色合いの違う光が見えた。
「……あれだな」
 目視で大体の距離と移動速度を推測すると、箒に魔力を注ぎ、推進を開始する。ゆっく
りと高度を下げながら、焔火を追い抜かないようにゆっくりと進む。いつでも全速力が信
条の魔理沙には少々我慢ならないことだったが、今は好奇心の方を優先する。トップスピ
ードで弾幕に突っ込むことはいつでも出来るが、こっそりついていくことは今しか出来な
い。しかしあまり気分によろしくないことは変わらないので、ちらちらと周りの風景にも
心を飛ばして誤魔化すことにした。
 眼下の風景は雪によって様変わりしていた。見慣れた黒と緑の森は鮮やかな純白にドレ
スアップされ、月光によって輝いているし、あちこちに流れる小川や滝も凍りついて銀色
の道を作っている。普段見慣れている魔法の森との違いに、魔理沙は無言で感嘆した。こ
れだけでも寒い思いをして外に出た甲斐があったかもしれない。
 足元からゆっくり視線を前に向けていくと、相変わらずのんびりとした様子で光が進ん
でいる。方角は大して変わらない。その行き先に、魔理沙は見当がつき始めていた。
「…………博麗神社、か?」
 間違いない、小さな山の上、長い飛び石の道と石段を登った先にある神社。たぶん、あ
の人魂らしき物体はそこへと向かっているのだろう。やる気のない巫女がやっているご利
益の薄そうな神社に行く理由は分からないが、多分そうだと魔理沙の勘は結論付けた。
「まあ、変な奴はよく集まるしな」
 自分もその変な奴の一人だという自覚を完全に欠落してそんなことを思う。だが、昔は
神社の辺りが騒動の発端になっていたので可能性は低くない。
 そうと決まれば話は早い。博麗神社まで先回りをしてみよう。


 不思議な光景が、神社の周りで展開されていた。
 天の上、空の帳の合間、そこに鎮座する月と星の光だけしか光源がない。
 だというのに、地上の星として、神社が輝いていた。
 正確に言えば、神社の在る小さな山が。
 山の麓を囲むような光と、石段に導かれる焔が二つ、互い違いに移動していく。
 亡霊が、霊魂が、人魂が神社に参拝している。
 比喩を行うにも相違がなさ過ぎて比喩にならない。
 現にそれは霊魂であり人魂だ。
 その奇怪でありながらも間違いなく幻想的な光景を、ただ一人、いつもと変わらない瞳
で見つめる姿がいた。
 彼女はただ、湯呑みを両手で包み、焔火たちの行進を見届けている。
 ふと、遠雷のような音を聞いた。
 見上げるとかすかに月が翳り、須臾の時を待たずして再び元の姿を取り戻した。
「……あいつか」
 溜息。仕方ないとばかりに縁側から引っ込むと、提灯を引っ張り出した。


 正直、言葉が出なかった。
 確かに、勘も予想も大当たりしていた。しかし、目の前に広がる巨大なかがり火はその
さらに上を行っていたのだ。
「……墓場でもないのに運動会か?」
 思わず下らないことを口にする。しかし目を丸くしたままだ。恐らく生涯でこれほど驚
いたことなど数えるほどしかないだろう。ついでに言えば人には見せられない顔だ。見せ
れば大体の知り合いや腐れ縁や友人は笑い転げるに決まっている。
 頭を振って気を取り直すと、改めて眼の前の幻想を見つめる。神社が、山が、道が白い
二つの道を描いている。多くの焔が立ち並び、導くように、導かれるように歩いている。
異常だ。これは、まさしく異常だ。しかし――心の奥を響かせるような輝きだった。
 それは、気がつけば寂寥にも似た感慨を呼び起こしていた。胸を優しく締め付けるよう
な錯覚だった。
 とりあえず、たえずじわじわ昇ってくるその感覚と、神社に登っている焔火は無視して、
自らの好奇心と、石段を降りて何処かへと向かう焔火を辿っていく。長い永い葬列のよう
な火は、在る一点を境に途切れている。魔理沙はあそこが何らかの終着点だろうと目星を
つけ、高度を下げながらゆっくりと近づいていった。


 獣道すらない森の中は薄暗い。雪も随分と積もっていて、一歩進むたびに足が愉快なほ
どめり込んでいく。だれも雪を掻く人がいないのだから当然かもしれない。その中を、魔
理沙は樹々のすきまからもれてくる葬列の輝きを頼りに歩いていた。木を一本通り過ぎる
たびに光が強さを増し、瞳に溢れそうなほど注がれる。その光で、意識がだんだんと輪郭
をあいまいにしていく。
 今が何時なのか、月は出ているのか、星は何処にあるのか。
 ――自分は何処にいるのか。
「……ちょっと見すぎたな」
 慌てて目を閉じ、頭を振って意識のかたちを取り戻す。今あそこへ向かっている理由は
好奇心からであって、見惚れにきたわけではない。
 これ以上引き寄せられないようにと、小さく呪文を唱えて明かりを作る。まるで風花の
ように身をくねらせて周囲を照らすそれは、自分と波長を合わせて作ったものだ。この光
があれば、少なくとも惚けて道を間違えることはないだろう。
 ざくざくと、何十、何百の雪を固める音を聞きながら、距離を詰めていく。すると、随
分と開けた場所に出た。光の量は最高潮。どうやら辿り着けたらしい。
「―――――」
 そして、言葉は沈黙になる。
 広場の中心、次々と焔火が消えていく場所。そこに、さざなみのような波紋が揺らいで
いた。水でも空気でもなく、世界そのものの揺らぎは、彼らが結界を越えていることを示
している。
 ――こんなところに境界があったのか?
 魔理沙が知っているのは神社の鳥居辺りにある境界で、外の博麗神社と繋がっているも
のだった。だが、こんなところにあるのは知らない。霊夢にすら聞いた覚えがない。単純
に忘れてたか面倒だったかのどちらかかもしれないが。
 箒をその場において、小走りに駆け寄る。波紋が途切れるぎりぎりの場所まで。
 そして、それに手を触れようと――
「こら」
「うわ!?」
 して、いきなり後ろから襟首を引っ張られた。
「あのね、面白半分でもあれに触るのは止めなさい。あんたじゃ帰って来れないでしょ」
 聞きなれた声。
 振り向くと、そこには陰陽の図を張り付けた提灯を持っている霊夢がいた。




「ふーん。安眠妨害か。それは災難だったわね」
「ああ。……で、ありゃなんだ? 運動会でもしてたのか? それとも葬式? いや、死
んでるから間に合ってるかもしれんが」
 とりあえず、魔理沙は霊夢に怒られながらあの場所を離れて、今は居間でこたつに入り
つつお茶などを飲んでいた。外は、まだ白い光が続いている。
「違うわよ。……今日は、外から来た人の魂を、外に還す日」
「え、そんなことしてたのか?」
 魔理沙のぽかんとした表情と声に、霊夢は心外そうな顔をした。
「毎年毎年、ほぼ遮断されてからずっと欠かさずにやってたわよ。……私も、今年は紫に
いわれるまで忘れてたけどね。仕方ないでしょ、普段はやらないんだから」
 どうやら本気で忘れていたらしい。魔理沙は呆れたように溜息をついた。
「そうか。それで、あんなところに入り口があったのか。魂専用って奴か」
「そう、専用。あんたが入ったらたぶん死んじゃったかも。肉体は通らないし」
 その言葉に、魔理沙は再び溜息をついた。さっきの二倍ほどの大きさで。その様子に、
霊夢は少し眉をひそめた。
「……霊夢」
「……なによ」
「そういうことは先にいえって。危うくお前の貴重な友人が涅槃逝きに」
「お茶とお茶菓子を強奪する奴は友達とはいわない。……まあ、その。悪かったけど」
 眉根を下げて、頬を掻く。こんな風に意気消沈するのは少々珍しいが、感情表現に関し
て霊夢はものすごく単純に表してくるので、本当にそう思っているのだろう。どこかのひ
ねくれ七色魔法使いとは大違いだ。
「まあ、一応は助けられたわけだから気にすることもない気がしないでもないぜ。……で、
あの魂って、どこから来てどこに行くんだ?」
 笑顔で遠回しに回して礼をいうと、とりあえず疑問点を魔理沙は口にした。
「うーん、普通は冥界に行って転生待ちだけど、外とここで区切られちゃってるから、外
の魂はこっちだと転生できないのよ。よっぽど永く住んでない限りは。だから、この神社
に集めて死の穢れを祓って、一年ごとに外へ還すの」
「なんで一年ごとなんだ?」
「毎日やるのは面倒じゃない。最近は随分増えたし」
 魔理沙は面倒という部分で非常に納得した。おそらく、博麗の家系はめんどくさがり屋
が非常に大いに違いない。証拠は、目の前。
「どうしたの、人の顔見てにやついて」
「いやなんでも。別に変なことは考えてないぜ。……で、外に行った魂は?」
 無理矢理話題の方向修正をすると、霊夢は半眼で魔理沙を見つめてきた。
「……なんだかものすごく失礼なことを考えられてる気がするけどなあ。……そうね。や
っぱりこっちに留まってたから、幻想を内包して転生するらしいわ。こう、不思議な力を
持ったり、妖怪になったり」
「らしいって、紫か?」
「うん。たまに見つけるって。どうやって見分けてるのかしらないけど」
 境界という境界を操り、外と此処を自在に渡り歩く妖怪、八雲紫。少なくとも、霊夢に
嘘はつかないようなので信憑性はそれなりにある。
「……そうか」
 納得したように頷いて、魔理沙はお茶をすすった。
 ふと、あの奇怪に美しい魂たちを思い出す。強く、意識に残っていた。まるで月光写真
だ。日光写真よりも柔らかく焼きついている。
 境界へと導く、焔火たちの道。
「綺麗だったな、あれ」
「そうね」
 小さくこぼした言葉に、霊夢は微笑んだ。
 その表情は、魔理沙にはとても大人びた、懐かしい暖かさを持っているように見えた。


「さて、そろそろ帰ったら? 夜が明けるわよ?」
「それもそうだな……あ、ちょっと待った」
 突然、魔理沙はこたつから出ると障子を開けた。
「ああ……雪が降ってやがる。寒いのは勘弁だな。霊夢、泊めてくれ」
「えー」
 あまりにも嫌そうな声に脱力した。もう少し友人は大事に扱うものだ、と心の中でだけ
思う。口に出していったら色々と文句を言われるに違いない。それは少し面倒だ。心当た
りがありすぎて。
「うーん、どうしても駄目か?」
「……んー、じゃあ、明日の朝ご飯と境内の掃除」
 ――ちょっと、それはレートが高すぎないか?
 抗議したかったが、背に腹は代えられなかった。
 弾幕ごっこに訴えても良かったが、外は寒いし、霊夢相手だと少し厳しい。
「……分かったよ。背に腹は代えられん」
 心の中で諦観した時と全く同じ言葉を使って承諾する。直後に深い溜息。どうにも霊夢
には勝てない。
「うん、お願いね。さて、もう一つ布団敷かないと。あととりあえず障子を閉めなさい」
「あいよ」
 一つ返事で頷いて、最後にちらちらと降っている牡丹雪を少しだけ眺めると、魔理沙は
静かに障子を閉じた。




 境内は、静かに雪が降り続いていた。










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