ただ、窓の外から見つめていることしか出来なかった。
 外で遊んで、あの輪の中に入ることなんて出来なかった。
 ただ、耳に届く楽しそうな声がひどく羨ましくて。
 ……ほんの少しだけ、呪ってしまった。




 




 桜はもう随分と散ってしまった。

 半分葉っぱまじりになって随分と目に優しくなった桜を見ながら、先日まで満開だった
薄紅色の雲を思い返す。そう見立てたのは、桜の木の下で空を見上げると、ちょうど晴れ
渡っている空を隠すように花が影を作っていたからだ。日差しを受け、空を薄い色彩で隠
すのであれば、それは雲だろう――
 そんなことを考えながら、博麗神社の主、博麗霊夢はいつものように縁側に座ってお茶
を飲んでいた。傍らに竹箒が立てかけてある所を見ると、掃除の途中で休憩を挟んでいる
のだろう。
 日差しは短い影を作り、それがまだ昼にも満たない時であることを地上に伝えている。
霊夢が少し眠たそうに目をぱちぱちと瞬かせているのを見ると、彼女が床を抜けてからあ
まり時間は経っていないようだ。春眠暁を覚えず。昼寝に加えて規則正しい眠りをとって
も、この時期の眠気は耐え難いものらしい。
「あー……掃除切り上げてお昼寝しちゃおうかしら」
 さらりとぐーたら発言をかますと、湯呑みをぞんざいに置いて、霊夢は足を投げ出した
まま横になる。実に気ままで自分勝手な性格の知れる言動だが、これでこそ彼女。妙なこ
とになど縛られないのである。
「あー……気持ちいー……」
 背中を伝うひんやりした感触。投げ出した足に当たる日差し。冷たく、暖かい、そんな
不思議な感覚が、ふわふわとした、少しこそばゆい快感を霊夢に与える。
 ほんとに寝てしまおうか、とすでに半分眠っているような頭の中で考える。昼寝だって、
大事な仕事なのだ。今は、掃除と優先順位を入れ替えるだけ――
 と、そこでいきなり跳ね起きた。
「やだもう、来客?」
 昼寝の邪魔をされたせいか、やや憮然とした顔をするが、すぐ元に戻る。とりあえず、
少し冷めたお茶に口をつけ、目覚まし代わりにすると、誰が来たのか見極める。
 ほどなく、一人の姿が霊夢の目に映った。境内で降りて、そのまま急いで歩いてきたら
しい。ただ、その足取りは風に煽られる柳のようにふらついていて、いささか頼りない。
 その姿がやがて明確になると、霊夢は目を丸くした。
 四角い帽子に青の混じった銀色の髪、特徴的な模様が切り抜かれているスカート。
「……慧音?」
 霊夢の言葉どおり、確かに慧音だった。ただ、かつて里を護ろうとしていた時の毅然と
した姿はない。顔色も良くはなく、疲労の色が濃い。良く見ると、頬に何かの跡が残って
いて、目は赤くなっている。それを見られるのが恥ずかしいのか、霊夢の視線を感じると、
慧音は視線を伏せて、
「うわ、ちょっと!?」
 何かの限界がきたのか、いきなり霊夢の眼の前で倒れ込んだ。慌てて駆け寄って身を起
こさせるが、その息は酷く苦しそうで、泣いているように上擦っていた。まるで、弱りき
った動物が助けを求めて人里に下りてきたような、そのあまりにも憔悴した様子を見て、
霊夢は溜息をついた。
「……さぼろうだなんて思ったからかしら。厄介事が来ちゃったわね」
 さっきから感じている重苦しい予感を祓おうと、そんな風に軽口を叩く。しかし、結局
はどうにもならず、鉛がお腹の中に入っているような感覚は消えない。
 けれど、霊夢の表情はまだ余裕を残していた。


 ――幻想郷に、不可解な事件は日常茶飯事。


 そして、それを解決するのはいつも霊夢なのだ。




 




  かーごめ かーごめ


 ……不吉な歌が耳の内側で響いている。
 時は逢魔をはるか越え、すでに光はなく、星が目覚めるのを待つしかない。
 夢か、それとも現か。すでに確固たる自分はなく、光も闇も曖昧になり、空を歩いてい
るのか、大地を飛んでいるのかも区別できない。まるであらゆる境目を取って払ったよう
な不吉な浮遊感。留意せよ。一瞬でも意識を離せば戻ってこれない、、、、、、、、、、、、、、、、、


  かーごの なーかの とーりー は


 もはや夢ですら恐ろしい。姿なく、延々と聞こえてくるあの禍々しい童歌は何なのか。
 心そのものを握られているような焦燥と不安、不快感。早く、早く探せと冷静に狂乱し
た思考が背中を突く。警告する。視界に納め、その手に納めろ。さもなくば永遠に失う、、、、、、、、、、
 何を失うのか、何を取り返せなくなるのか。それほどまでに大切なものとは何なのか。
 ようやく自分の輪郭を取り戻す。慧音は自分が汗だくで走り続けていることに気づいた。


  いーつー いーつー でーやーる


 無邪気な少女の声で歌われる、来歴すら消え、ただ伝わり続けている童謡。しかしそれ
は今の慧音にとっては禍歌まがうた 、忌むべき振動だ。耳を塞いで、出ない声を張り上げて、■■
を探す。名前が思い出せない。夢だからか、自分が自分の思い通りにならない。まるで一
歩離れて人形劇をやっているような齟齬に苛立つ。何を探して走っているのか、何を失お
うとしているのか、何が取り返せなくなるのか、早く思い出さなければ。


  よーあけーの ばーんに


 そもそも、歌っているのは誰だろうか。隠しているのは何なのか。人か妖か、それとも
別の何か、例えば呪いか。歴史には記載されない闇が在る。自分には見えない。自分では
出来ない。里に生きている彼も彼女も――■紅でさえも救えないのか。
 少し思い出した。すぐさま頭脳の一角に意識を集中し、全力で引きずり出す。もう少し
だ。もう少しで見つかる。この世界は自分の頭の中だ。ならば無いはずがない。


  つーると かーめが すーべった


 涼やかな声で歌われる邪悪な詩が終わろうとしている。焦る。急がないと隠される、、、、、 。よ
うやく名前も思い出せるというのに、その前に嘲笑うのか、姿を見せない呪いよ。闇に終
わりがない。光はすでに全て消えた。確かなのは彼女の名前だけ。
 幾度も転びながら勘を頼りに走り、そして、後ろ姿が見えた。長い銀の髪を、御札を髪
結いに見立てて飾り、不死と炎をその身に宿した永遠の少女。


  うしろの しょうめん だあれ




「も――――――――――」




 歌が終わった。声は間に合わなかった。
 そして、詩は非情に産霊を断ち、慧音が名前を呼ぼうとして、妹紅は消えた。




 




「――――――――っ!!」
 可聴領域を越えたような音にならない悲鳴。同時に駆け出そうと身を起こし、
『ぎゃっ!?』
 心配そうに顔を覗き込んでいた霊夢に強烈なチョーパンをかます格好となった。
『……づー……』
 お互いに頭を押さえてうずくまる。魔理沙辺りが見ていたらそのあまりにも滑稽な姿に
耐え切れず笑い出していたに違いない。そしてその後、針を千本、角を二本、容赦無く叩
き込まれることだろう。ちなみに角を何処に叩き込むのかは秘密だ。
「あー、痛たたた。もう、起きるなら先に言いなさいよ」
 涙目になりながら、霊夢。ぶつけたと思わしき額が赤く染まっている。
「……あれ、ここは」
 対して、慧音は半分呆然としながら周囲をゆっくりと見回して、不思議そうに首を傾げ
ている。どうして自分がここにいるのか。そしてここは何処なのか。
 まず目に入ったのは紅白の巫女。そこから視線を天井に移して――蜘蛛の巣が張ってい
る。おそらく掃除をさぼっているのだろう――、今度は開いている障子から外を見る。赤
い鳥居と、石の境内が焼きつくように記憶へ印象づいて、
「あ、そうだ……私は」
 それが鍵になり、慧音は全てを思い出した。雲がかかっていたような意識が冴え渡って、
その副作用で不気味な不安感をも甦らせる。
「いきなり来たと思ったらいきなり倒れて。せめて何があったか言ってから気絶するのが
王道でしょ……うわ!?」
 なんだか良く分からないことを言っていた霊夢だったが、慧音が突然倒れこむようにし
て霊夢にすがりついたので、言葉を止めざるを得なかった。
「ちょ、ちょっとどうし――」
 かすかに震えて、強く服を掴んで何かに耐えている様子の慧音を見かねて、霊夢は声を
かけようとして、
「すまない……助けてくれっ!!」
 溜め込んだ全てを吐き出す、悲鳴のような声にかき消された。彼女もこんな声を出すの
かと霊夢は間の抜けた感想を持ったが、すぐに気を取り直して何があったかを聞く。
「里の人間が……みんなが……妹紅が……っ!!」
 震えて、途切れ途切れになって届く声。ひょっとしたら泣いているのかも知れない、と
霊夢は思った。気丈な慧音がここまで狂乱しているのは見たことがない。
 だから、次の言葉はある意味予想していたことだった。具体的には分からなくても、何
か最悪なことが起きたのだろうと悟ることは出来る。
「隠されてしまった……!!」
 そして、その勘で得た最悪な出来事の形を、霊夢は知った。





 幻想郷ではありえないはずの、神隠しだった。





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