日はかすかに傾いて、暑さの折り返しを告げていた。

 なおも強い陽光のせいかでくすんで見える青い空と、鎮守の森が降らす日暮の声が、
どことなく寂しさを胸のうちに湧かせている。

 不快ではない、しかし悲しい出来事を思い返すような―――

 霊夢は、その中を歩いていた。

 木々のつくる日陰をたどって、暑さを逃れながら、両手には水の入った桶とひしゃく、
そして菊の花を携えて。

 その額には汗が浮いている。

 玉のように顔へ乗っているそれは、やがて鼻筋から顎先を通って滑り落ちていった。

 それを花を抱えた方の手で器用にぬぐいながら、霊夢は歩く。

 場所は、神社の裏手から少し進んだ場所。畑のある場所から歩いて数分の場所。

 知るもののほとんどいない、場所。




 ―――そこには、七人分の墓石が鎮座していた。




正直者の




「おお、いたいた……って何やってるんだお前」

 さて、と一つ目の墓の前に立ったところで、上から黒い物体が降りてきた。
 フリルいっぱいの帽子にエプロンドレス、それに背丈ほどある箒とくれば一番付き合い
の長い友人の霧雨魔理沙しかいない。友人というにはずうずうしすぎる嫌いもあるが。

「見ての通りよ。墓参り……というより墓守かしらね。この人たちとは縁もないし」

「じゃあなんで墓なんか作ってるんだよ。めんどくさがりのお前がさ」

「無縁仏埋めてるところまでは遠かったし、何より神社の近くに住んでた人よ、この人た
ちは。だったら放っておくわけにもいかないわよ。妖怪にでもなられたら迷惑だろうし。
それとそもそも私が作ったものじゃないわよ」

 そこまで言って、霊夢はぱしゃりとひしゃくを軽く振った。水が墓石を滑り落ちていく。

「ほう、そりゃ初耳だな。で、それっていつの頃だ? ずいぶんぼろぼろみたいだし、お
前がいた頃とは思えんが」

「さあ、そこまではね。桜の色も随分薄くなってるし、百年以上は前じゃないかしら」

「……ってここの木って全部桜なのか。なんだよ、こんな花見にいい場所があるなら言っ
てくれてもいいのに」

「あんたね、こんなところで騒いだら死人に祟られるわよ」

「はっはっは、私の師匠は祟り神だから平気なのだ」

「今は違うだろ」

 半眼で見つつ、花を供え終えてから次の墓へと移った。あと六つ。早く終わらせて水浴
びがしたい。服がじっとりとしてあまりよろしくないのだ。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「お待たせ。……って変なのがいるわね」

 霊夢が三つ目の墓に取り掛かった頃に、暑苦しい羽根を生やしたものが降りてきた。

 長い銀髪、御札に似たリボン、そして背中の燃え盛る翼。以前、満月の夜に肝試しで出
くわした藤原妹紅だ。

「誰が変なのだよ蓬莱人。私でも墓参りくらいする心がけはあるぜ。きっとな」

「さっきまで宴会しようとか言ってたやつが言うことか。で、あんたは饅頭?」

「墓場といったら肝試し。怖い怖いのついでにってね。お茶はそっち持ちでお願い」

「水出しでいいなら出すわよ」

「そりゃ怖いわ。是非とも欲しいね」

 妹紅もまた、片手にひしゃくと桶、もう片方には饅頭を持っていた。饅頭の方は多分供
え物だろう。赤が七つで白が七つと、紅白組になるよう揃えられている。

「ありゃ、お前も墓参りか。知り合いか?」

「まあ、ね」

 適当に返事をしながら、羽根をしまった妹紅は順繰りに饅頭を備えると、四つ目に取り
掛かった。霊夢と同じように水をかけて、風雨にさらされた垢を落としていく。少しだけ、
墓石が本来の色を取り戻しているような気がした。

 日は、だいぶ赤味を増していた。

「……昔、ね」

「ん?」

「……結構前にさ。正直村って言う、小さい集落があってね。八人くらいの。私は、そこ
で暮らしていたんだ」

 四つ目の墓に饅頭を備え終わったところで、ぽつりと妹紅が呟いた。

「だから手伝うって言い出したのね、あんた」

 霊夢が汗をぬぐって顔を上げた。五つ目に取り掛かるつもりだったが、そろそろ汗の量
がまずい。少し休憩した方がいいだろう、と思って木陰に移動している。

「そう。……外で暮らせなくなった私は結構楽しくやってたんだけど、死んじゃったり、
行方をくらましちゃったりしてね。最後に残ったのは私一人だけだった」

「……なるほどな」

「で、最近になって。そこの巫女のところに墓があるって知ってね、最後の、あいつらの
こと知ってる人間としては、ちゃんとやっとかないとって」

 話しながら、妹紅はうっすらと笑っていた。

 遠い昔を思い出すような、切ない笑顔。

 まるで、過去を今まで引き寄せて、その風景を見ているかのような―――

「あいつらのところには、行けそうにないけどね」

 そう締めくくって、妹紅は墓掃除を再開した。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 夕暮れが差し迫っていた。

 空は青から紫、そして赤へと染まり、また青から夜へと向かっていっている。

 木々の陰は、すっかり長く黒く染まって、かすかにもれてくる日の光だけが七つの墓を
照らしていた。

「さて、最後の一つって所ね。早くしないと日が暮れるわ」

「途中で休憩入れなきゃもうちょい早く終わったんだがな」

「仕方ないじゃない。そこの蓬莱人が熱射病で倒れたりしなけりゃ休憩なんて……ああで
も服が汗びっしょりだったから着替えたかったし、どっちにしろ入れてたわね」

「……あんたも水ぐらい用意しときなさいよ。さすがに桶に顔突っ込まれたままリザレク
ションしたらトラウマになるでしょうが。まあ冷えたお茶くれたから許すけど」

「死ぬ方が悪いのよ。それとお茶代は賽銭で払ってもらうわね」

「さすが霊夢だ言うことが違うぜ。つーか金取るのかよ」

 魔理沙の言は無視して、霊夢が桶を持って立ち上がる。

「……って、あれ、霖之助さん?」

 そこで、驚いたような声が霊夢から発せられた。

「……そっちが呼びつけておいて、それは失礼じゃないかい、霊夢」

 差しているのは、烏色の地に五紡星らしきものを一つだけ白に染め抜いた、たぶん日傘
だろうか。

 それを片手に、香霖堂の主人である森近霖之助が呆れ顔で立っている。

「……呼んだかしら」

「……『明日は忙しいからお茶と西瓜、神社までお願いね』。汗だくで来たこっちの身に
もなって欲しいなあ、まったく。で、何をしているんだい?」

「墓掃除らしいぜ。その前に香霖が外に出るなんて珍しいな。よく倒れなかったな」

「そこまで言われるほど出不精のつもりはなかったんだけど……そもそも魔理沙が活動的
過ぎるだけじゃないか?」

「動いてこそ魔法使いだぜ。引きこもってるだけじゃ駄目なのだ」

 分からないなあ、と首を傾げつつ、霖之助は日傘を畳んだ。

 ぱたんと、木の骨と紙の打ち合う音が涼しげに響いた。

「それ、どうしたんだ? また拾ってきたのか」

「ああ。本当は日傘用じゃないんだけど、気に入ってね。
 ……勝手に持っていかないでくれよ?」

 言いながら、それを木に立てかけた。魔理沙の視線が向いているのを警戒しながら、建
ち並んでいる墓を見る。

「あれは、誰の墓なんだい? 名前も彫られてないみたいだけど」

「……いや、まあ。ほとんど無縁仏みたいなものだから私も知らないんだけど」

「妹紅。そういやお前さ、正直村がどうのこうのって言ってたよな」

 魔理沙がそこまで言ったところで、ふと違和感を感じた。

「……香霖?」

 口に出したところで、その違和感は消えた。

 少しだけ、香霖の雰囲気が変わっていた気がしたのだが。

 しかしそれにしてもどうこう説明できるものではない。

 なんとなくでしかない。けれど、無視するには酷く印象深かったのだ。

 無理に言葉にするならば。

 一瞬、何かがずれていたような。

「正直村か。そういえば聞いたことがあった気もするな。で、どうしたんだい魔理沙?」

 霖之助が視線を向ける。魔理沙はその顔を見て、気のせいだと確信した。

 なんだ、いつも通りじゃないか。

「いや、なんでもないぜ。幽霊にでも取憑かれたかな」

「……ここの霊は、誰かに取憑くような性質の悪いものじゃないと思うけどね」

 霖之助はそんなことを言いながら、ひしゃくと桶を手に取った。

「さて、行きがけの駄賃だし、手伝っていくよ。ああそれと、お茶の葉と西瓜は縁側にお
いてあるから」

「霖之助さん、それってどういう風の吹き回しかしら。……でもまあ、お願いするね。ま
た着替えることになっちゃうし、ちょうど良かったわ」

「じゃ、私も西瓜食べたいからこのへんで。倒れるなよー」

 渡りに船、とばかりに二人は頷いた。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 最後の一つだけあって、墓掃除と供え物はすぐに終わった。

「そういえば、君はどうして正直村のことを?」

 汗をぬぐって木の根に腰掛けると、霖之助は妹紅を見上げて、聞いた。

 夕日が近いせいか、彼女の姿は薄く黄金色に染まっている。

「昔、住んでたの。それだけ」

 こともなげに答えて、妹紅は墓の方を見やった。

 その目は、寂しさをかすかにのぞかせていた。

「そうか、どおりで……」

 霖之助は納得したように頷くと、

「じゃあ、これは知っているかな」

 そんなことを言った。

「知っているって、何が?」



「いなくなったのはね、七人じゃなくて、六人なんだ」



「―――え?」

 妹紅が、目を丸くした。慌てて墓の数を数えるが、七つあることに変わりはない。

「……さて、いこうか」

「ちょっと、それってどういうことよ!?」

「さあ、そこまでは良く知らないなぁ」


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ―――まさか、わざわざ墓を作ってくれていたとは知らなかったな。

    こうして巡り合わせたのは、ひょっとして霊夢のおかげだろうか。

    だったら、これでつけは帳消しにしないといけないかも知れないなあ。





    まだ人間だった頃の僕を、やっと供養できたのだから。

    人間を止めてしまった僕が、人間だった頃の僕へ、ね。








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