薄暗い曇天の下、八雲紫は眼下一面見渡す限り黄色一色の花畑の空にいた。
 秋も終わりを迎え冬がやってくる時分であるというのに、一面は夏の花である向日葵が咲き乱れていた。明らかに異常な光景だが紫はそれを全く気に留めた様子がない。
 名前と同色のドレスを纏い、飾り立てられた洋傘を開いて右肩に預け、ぼうとした眼で前を見つめる。
 ――正確には対面に立つ妖怪を見つめていた。
 チェックのスカートとベスト、若草のような緑の髪と日傘が特徴的な妖怪である。
 名前を風見幽香と言った。
 幽香は紫とは対照的に強い意志を秘めた眼で見つめ返す。

「眠そうね、紫」
「眠いわよ、幽香」

 くわぁ、と下品でない程度に口を開き、紫はあくびをした。どうやらぼうとしたその眼は眠気から来るものらしい。
 紫があくびをする姿を見て、幽香は日傘の柄を強く握り締めた。何かをこらえようとするかのように。

「やっぱり、今度の冬も……」
「ええ。冬眠するわ。寝ないと、持たないのよねえ……」

 再び紫はあくびをした。ふわぁぁと大口を開く。一目で上質なものと分かる白い手袋が口腔を隠してその振る舞いを下品に見せない。
 幽香が下唇を噛む。無意識に俯きそうになる顔を意識して正面へ向けた。

「ねえ、紫」
「なぁに、幽香」

 あくびのためか紫の眦には光る雫があった。白い布地に覆われた繊手で口元を隠し、幽香を見つめる。

「四季のフラワーマスター、なんて言っても大したことないわね。冬になって、雪が降れば、この向日葵畑だって冷たい白に埋め尽くされてしまう。視覚さえも夏と欺けない」
「それは仕方のないことよ。何者も逆らえない事は存在するわ。私だって、いいえ。誰であろうと冬という季節をなくすことは出来ない」

 ぎゅうと幽香の左手がスカートを握り締めた。チェックの布地がくしゃりとよじれる。

「紫、今度は……いつ逢える?」
「そう、ね……。桜吹雪が舞う頃、かしら」

 幽香の頬をつ、と雫が流れた。

「さみしく、なっちゃうわ」
「ごめんなさいね。何時からか冬は起きてられなくなっちゃったのよ」

 紫の眦から雫が零れる。

 ぽたぱたと季節から外れた向日葵に雫が落ちていく。

「毎年の事だけどさっ……。慣れないよね。お互い」
「そうね……っ。私は眠っているうちに過ぎていくけど、貴女は……独りになってしまう。私は、それが……、心苦しいわ……」

 寒さに当てられたのか二人の言葉は鼻声に化けていた。
 幽香は微笑み、紫は口元から鼻までを隠す。

「最強の妖怪だもの。天辺ってのは孤独なものなのよ。だから孤高っていう言葉があるのよ」
「ふふ。そうね……幽香」

 ざぁ、と木枯らしが吹いた。

 二人の下、一面に広がる向日葵が冬を告げる風に吹き散らされる。

「……冬だね」
「……冬ね」

 吹き散らされていく向日葵。季節を外れてまで夏を顕示した彼らは木枯らしに倒れ、土に抱かれて眠りにつく。

「おやすみ。紫……」
「おやすみなさい。幽香……」

 その言葉を最後に八雲紫は眼を閉じ、紫色の隙間へと身を横たえ、消えた。
 風見幽香は八雲紫を見届けて空を見上げた。見上げた空は曇天。世界を薄暗く塗り、寒々しい印象を与え続けていた。

 幽香は日傘を閉じ、腕を空へ伸ばした。日傘の切っ先が曇り空を睨みつける。

 一帯を揺るがす轟音と共に光芒が空へ疾った。光は分厚い灰色雲を食い破り、その向こうにある青空を覗かせた。

「――――!」

 光芒が残滓を残して掻き消え、空は何事もなかったかのように雲が全てを覆い隠す。一切合財が元通り。

 ――いや。

 風見幽香の双眸が雨の後のように濡れていた。

 フラワーマスターの慟哭は誰の耳にも聞こえなかった。





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