「お前ってさ、リリー・ホワイト好きだったよな? 『春をー、伝えにー、来ましたー』のリリー・ホワイト」
 久しぶりに会った友人は、居酒屋の席で不意にこんなことを言った。
「ああ、好きだよ。今でもね」
 東方花映塚にも出てきたんだぜ。ドット絵もリニューアルされててますます好きになったよ。
 そう続けて僕はグラスを傾けた。ジントニックが喉を流れていく。
 対面に座っている彼もグラスを傾けた。彼はモスコミュールを飲んでいた。
「……どのくらい好きだ?」
「リリーのこと?」
 ああ、と彼は首肯した。
 ふむ、と僕は一考した。
「そうだね……。世界の全てって感じかな」
 我ながらちょっと恥ずかしい答えだと思った。でもあながち嘘でもないのだ。
「世界の全てと来たか」
 ク、といった感じで彼は笑ってつまみの鳥軟骨のから揚げに手を伸ばした。パリポリコリと咀嚼して飲み込む。
「……なら、話してもいいかな」
 から揚げを摘んだ指をおしぼりで拭いて彼は言った。
「何を?」
「俺がこの前体験した出来事さ」
 手指を綺麗に拭いておしぼりをたたみ、彼は僕の目を見た。
「一応言っておくが、酔っての妄言じゃないからな」
 頬こそ赤かったが、頭にまでアルコールが回っている様子はなかった。


「いつだったか明確には思い出せないが、ここ最近ぐらいのことだったと思う」
 彼の『ここ最近』あんまりアテにならない。経験則から言って、大体一ヶ月前のことでも彼は『ここ最近』に含むのだ。
「日当たりの良い日だったな。風も強くなくて、ほの暖かかった。布団を干すには絶好の日だったよ」
 それ見たことか、と思った。少なくともここ二週間そんな日はない。いつ雪が降ってもおかしくないような天候が続いているのだ。
「その日は休みだったんでね、俺は部屋の日当たりがいい場所に布団を敷いて日向ぼっこをしてたんだ」
 彼は割合に肉体を使う類の仕事をしていた。日頃慌しく動き回る分、休みの日はそんな風にゆっくりしたくなるんだろう。
「良い気持ちだったよ。壁によっかかって、窓を少し開けて風を流して。コーヒーもポットで入れてさ、ゆったりと文庫本を読みつつ時間を送ってた」
 ここで彼は言葉を切ってモスコミュールで口を湿らせた。ふう、と一息。
「文庫本読み終えたところで眠くなって毛布を被って昼寝としゃれ込んだんだ。で……」
 そこでまた彼は言葉を切った。言おうか言うまいか迷っている。僕はそう感じた。
 三十秒待ったけど、彼はそこから先を言うかどうか決めかねているようだった。
「で……なんだい? そこで切られると気になるじゃないか。とりあえず言うだけ言ってみてくれよ」
 僕は先をうながした。
「……そうだな、振ったのは俺だもんな。ああ、言うだけ言ってみるよ」
 彼はちびりとモスコミュールを飲んで話を再開した。
「昼寝から目覚めたらさ……リリー・ホワイトがいたんだ」
 僕は沈黙した。
 ――沈黙したがすぐに口を開いた。
「りりぃほわいと?」
「ああ、リリー・ホワイトだ。白い服着て白い帽子を被った金髪の春の妖精さんだ」
「東方妖々夢ステージ4中ボスの?」
「ああ、そのリリー・ホワイトだ」
 シークタイムゼロで彼は答えた。
「まあ最後まで話を聞けよ。冗談だとしてもそんなにつまらないものじゃないはずだ」
 言って彼はモスコミュールを呷った。そしてそばを通りかかった店員を呼び止めてスクリュードライバーとキャベツとソーセージの炒めを注文した。
 彼が注文をしている間、僕は鳥軟骨のから揚げをパリコリとつまんでいた。レモンとから揚げの味が僕を少し落ち着かせた。
 注文を済ませ、彼は僕を見た。
「で、昼寝から目覚めたらリリー・ホワイトが目の前にいたんだよ。にこにこしててさ。目が合ったら『おはようございます』って春の風みたいな声で挨拶してきた」
 春の風ってどんな声だよ。思ったが突っ込まなかった。比喩が上手くても、それがイメージできるかどうかはまた別問題なのだ。
「普通は驚くはずだろ? 泥棒かなんかだって思うもんな。でもさ、驚かなかったんだ」
 なんでだかリリー・ホワイトだって分かったんだよ、と彼は続ける。
「『まだ冬だぞ』って言ったんだ、俺。リリー・ホワイトって言ったら春だもんな。そしたらふるふるって首を横に振ってさ『新春ですよー』って言ったんだ。『新春ですよーって、お前もう年明けてからそれなりに経ってるぞ』って突っ込んだら、『はっ』て感じの顔してさ。しばらく考え込んで『でも新春ですよー』って。でもってなんだと思ったね」
 その様を思い出したのか彼は小さく笑った。
「それからどうしたんだい?」
「新しくコーヒーを入れて、カフェオレ作ってクッキー出して二人でゆったりとコーヒータイムを送った」
 それから彼は自身がリリー・ホワイトを見て気づいたこと、思ったこと、感じたことを僕に語って聞かせた。
「カフェオレ出したら『ありがとうございます』って頭下げてさ、両手でカップ持ってこくこくって静かに飲んでくれたよ。で、『おいしいです』って微笑んでさ。もうそれが辛抱たまらなくなるぐらいかわいくてさー!」
 ヒートアップする友人。アルコール回ってきたのかな。
「クッキーも一枚ずつ両手で持ってぽりぽりって少しずつ齧ってさ、またそれが愛くるしいんだ」
 首を縦に振って感情を表現する彼。顔色も心なしか赤く見える。
「『美味しい?』って聞くと『にへ』って感じで笑ってさ、『美味しいです』ってー!」
 顔を伏せてばんばんとテーブルを叩く男。大きな音が立たなかったのと周りの喧騒が幸いして、周りの客が僕たちを睨むことはなかった。
「随分辛抱たまらなかったみたいだね」
「ああ。萌えた。萌えさかった」
 彼のキャラが壊れてきている。大分まわってるのかもしれない。
「で、それからどうしたの?」
「リリーがにこにこしながらお茶する光景を眺めてた。凄く幸せを感じたよ。……微笑ましさっていうのかな。子犬とか子猫がじゃれてるのを見ると顔がこう……ほやっとするだろ? そんな感じを堪能した」
 なるほど、と僕は相槌を打った。彼の顔は見事なまでにほころびていた。むかし恋人について惚気てきた時よりも遥かに。
「それで。そのリリーはどうしたんだい? 今も君の部屋に居る?」
「……いや」
 彼は顔を締めてモスコミュールの残りを一息で飲み干した。
「クッキーとカフェオレをやっつけて『ごちそうさまでした』って深々とおじぎしてさ。それから俺の隣に座って擦り寄ってきたんだ。犬猫がなついてくるみたいに胸元の辺りに顔を寄せてな。上目遣いで俺をじっと見てさ。にぱって笑って『春を伝えに来ました』って言ったんだ。背中の白い羽をふぁさって広げてさ。その羽と身体で俺を優しく包んでくれた」
 一度言葉を切って、彼はその時のことを思い出すように続けた。
「……至福だったな。春の暖かみを思い出させてくれた。心が洗われるようだったよ」
 湧き出してきた思い出を自身の心に染み入らせるように、しみじみと彼は言った。
「ふと気が付くとリリーはいなくなってた。日当たりのいい窓辺で俺は一人寝こけてたんだ。夢かと思ったよ。でもな。空のカップが二つとクッキーが載ってた皿が出てたんだ」
「寝惚けて用意したの忘れてたんじゃないの?」
「それだけなら俺もそう思った」
「ってことは他にも何か?」
「ああ。白い羽根が一枚、俺の膝に残ってた。だからアレは夢じゃない。本当のことなんだ」
 彼がそう締めくくったところで店員がスクリュードライバーとキャベツとソーセージの炒めを持ってきた。
 彼はスクリュードライバーを飲み、炒め物に箸をつけた。僕は炒め物に箸を伸ばした。
「…………うらやましいな。なんで僕じゃなかったんだろう」
「さあな。それはわからないよ」
「今度その羽根を見せてくれないか」
「ああ。都合が合ったらうちに来てくれ」


 しかし彼とはなかなか都合が合わなかった。彼がちょっとしたプロジェクトのチームに組み込まれてしまい、長いこと会社でハードワークを強いられることになってしまったからだ。
 僕も僕で作業が追い込みに入ってしまい、時間の都合をつけるのが難しくなっていた。
 慌しく動いているうちに日にちは過ぎていき、二月になった。
 その頃には僕は彼の話したことを殆ど完全に忘れていた。きっと彼も忘れていたんだろう。連絡もなかったことだし。


 ある休みの日、僕は久方ぶりにのんびりしていた。作業が一段落ついて、丸三日間はゆっくりと身体を休められることになったのだ。
 小春日の気持ちいい日だった。僕は日当たりのいい一室に布団を敷いてその上に身体を横たえた。
 長く続いた作業のために浴びられなかった日の光を補充するかのように、目を閉じて僕はのんびりと日の光を浴びた。

 何時の間にか眠っていたようだった。
 寝惚け眼と寝惚け頭のまま、僕はゆっくり身体を起こして隣を見た。

「春ですよー」

 リリー・ホワイトがそこに居た。






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