窓の少ない紅魔館の中、さらに輪をかけて窓の少ないヴワル魔法図書館。
 日光による本の痛みを最小限に抑えるべく取られた措置は、昼でも薄暗い知識の集積所を生み出した。
 しん、とした空気が地上階層でありながら地下にいるかのような錯覚を与える。

 陸上で生きる生物は一部の例外を除き、ある程度の陽光を浴びることによって健康を得るという。
 また、暗いところで本を読むと目が悪くなるともいう。
「つまりだ。薄暗い図書館に年がら年中引き篭もってじとーっと本を読んでるから不健康なんだよ」
 魔法使いでありながら流星の如く幻想郷を飛んでまわる少女、霧雨魔理沙がティーカップを片手に言った。
「不健康なわけじゃないわ。身体がこの図書館で暮らしやすいように適合していっているだけよ」
 生まれつきの喘息に併せて貧血持ち、なおかつ栄養不足の『むらさきもやし』、パチュリー・ノーレッジが言い返す。こちらも手にはティーカップ。
 二人はテーブルに向かい合わせに座って言葉のキャッチボールをしていた。
「適合って言えば聞こえはいいが、要は退化だろ」
「進化よ。より本を読むことに特化した個体へ進化したの」
「……物は言い様ですね」
 赤い髪と背中に生える蝙蝠めいた羽が印象的な司書兼給仕役、通称小悪魔が横合いからぼそりと言った。
「その進化のために先日39.8℃の高熱を出してお館が上へ下への大騒ぎになりましたよねー」
「こ、小悪魔。あれは……」
「『パチェ! 死なないでパチェ!』『パチュリー……死んじゃ嫌だよぉ……パチュリー……』」
「うぐぅえ……」
 パチュリーの痛いところを突き、さらにその際のスカーレット姉妹の声帯模写で反撃を押さえ込む小悪魔。
「ほーぅ。そんなことがあったのかむらさきもやし」
「誰がもやしよ」
「貧弱かつ暗所で生きてるパチュリーが。……まぁ、胸だけはもやしじゃないみたいだけどな」
 言って魔理沙は分かりやすく視線をパチュリーの胸部へ移した。にやーと笑いつつ。
 ばっと身体を丸め、本を抱きかかえて胸元を隠すパチュリー。三角口に赤面した顔を本で隠しつつ「……どこ見てるのよ」。
「パチュリーの体躯の割には豊満な胸だな」
「しれっと言うな」
「ならしれっと触らせてもらおうか」
 両手をわきわきさせながらテーブル越しに魔理沙が迫る。
「こあくまーーー」
 パチュリーの『小悪魔コール』に司書が動いた。
「はい魔理沙さんその辺にしておいてくださいね」
「はぐおっ!?」
 電気ショックに撃たれたかのように、びくんっと魔理沙の身体が跳ねた。
 魔理沙の背後に回った小悪魔が無防備な両腋から脇腹にかけて指をすわ〜っと這わせたのだ。
「ヴワル魔法図書館司書奥義、『震電』。パーフェクトよ小悪魔」
「感謝の極み」

『震電』
 電撃さながらの”くすぐったさ”によって確実に目標の動きを止める非殺傷奥義だ。
 目標の感度にもよるが、概ね非常にストッピングパワーが高いのが特長である。
 喰らうと『震え上がってしまう電撃』、故に『震電』。
 ――ぶっちゃけると単なるくすぐり。

「ふおぉぉ……ビリっと来たぜ……」
「全く……」
 テーブルに突っ伏して身体をぴくぴく痙攣させる黒白にパチュリーは溜息をついた。

 数分後。

『震電』から復帰した魔理沙はテーブルにぐっと手をついて上体を起こした。
 そして、ぴっと顔の前で人差し指を立てた。
「温泉に行こう」
「…………温泉?」
 唐突な魔理沙の言にパチュリーは怪訝な顔をして聞き返した。
「そう、温泉だ。肩こり、筋肉痛、ムチウチ、リウマチ、風邪に喘息その他諸々。それから美容にもいい温泉だ。
 日ごろ借りてる本のお礼にうちの温泉へ招待するぜ」
「……温泉、ね」
 パチュリーは考える仕草をしつつ目を泳がせた。内心招待に応じるのはやぶさかでもない。
 だがさっきまで「自分は不健康ではない」と言い張っていた手前、即座に首を縦に振るのはためらわれた。
 さてどうしたものだろうとウンウン唸るパチュリー。
「行ってみてはどうですか? 留守は私が預かりますから」
 体のいい答えを考えあぐねているパチュリーに小悪魔が助け舟を出した。
「なら行くわ。興味がないわけではないもの」
 これ幸いと招待に応じる言葉を紡ぐパチュリー。
「そいつは重畳。……と、言いたいところだが」
 ぴくりとパチュリーの眉が動く。
「何言ってるんだ小悪魔。私はお前さんのことも誘ってるんだぜ」
 顔を小悪魔に向けて魔理沙が言う。
「……はえ?」
 対する小悪魔はちょっと抜けた返答しかできなかった。話の流れに自分も含まれているとは想定していなかったのだ。
「お前さんにも世話になってるからな。温泉へご招待だぜ」
「え、えぇ〜〜と……」
 温泉への誘いを受けて、小悪魔は悩み、そして困った。
 小悪魔が誘いに応じれば、図書館の留守を預かるものがいなくなってしまう。
 パチュリーが温泉に行くのは、留守を預かる小悪魔が居るからである。
 つまり小悪魔が温泉に行くと、パチュリーが温泉へ行く前提が崩れてしまう。
 主を差し置いてのうのうと温泉に浸かる、などとおっそろしいマネは小悪魔にはできない。
(……行きたいな……)
 魔法図書館の管理運営にパチュリーの世話、その他諸々。疲労がないわけない。
 ゆったりと身体を休めたい。
 それに、『美容にいい』という文句も聞き捨てられない。
 小悪魔とてオンナノコなのである。
「迷ったときは素直になるのが一番だぜ」
 ほ〜れほれ、素直になるがよいとばかりに、魔理沙は立てた人差し指を小悪魔に向けて燻らせた。
 しかし素直にはなれない。あくまで小悪魔は契約に基づいて従者を全うしなきゃならないのだ。
「……やれやれ、ね」
 ため息をついてパチュリーがつぶやいた。
 いけない、気分を害してしまった。
 と、小悪魔は慌てた。即座に「私はいいです」と断るべきだったのだ。
「すみません! 私は」
「留守の間は図書館を閉めることにするわ。そうすればあなたが留守を預かる必要もない」
 そうでしょ? とパチュリーは片目を瞑り、目で小悪魔に語りかけた。
「あ……」
 つまり、小悪魔が留守番をしなければならない前提を崩してしまえば、温泉への誘いを断る理由も崩れる、ということだ。
 胸元で手をきゅっと握り、極まった様子で小悪魔はぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
 それを見てにっと笑い、魔理沙は手を叩いた。
「よぉーっし、決まり。じゃ支度しな。早速行くぜ」
 図書館組が固まった。

 うえいと ふぉー あ りとる たいむ。

 手を叩いた格好のまま「どうした?」とばかりに魔理沙は首を傾げた。
「……早速?」
「早速」
「……今からですか?」
「今からだ」

 うえいと ふぉー あ わん せこんど

「急すぎるわ」
「急すぎます」
 異口異音に同義の言葉を言う図書館組。
 魔理沙は「おぉぅ」とリアクションを返した。
「むぅ……急すぎるか」
「普通は一ヶ月以上前に言うものじゃないのかしら」
「パチュリー様、それは前過ぎるかと思います」
「この本にはそう書いてあるのだけれど」
 そう言ってパチュリーは手の本を見せた。書名は『妖怪と人間の付き合い方』。
 しかし出版社は『八雲書房』で著者名は『ゆかりん』である。
 胡散臭いことこの上ない。
「人との付き合い方を本で鵜呑みにしちゃダメですよ」
 特にこの出版社と著者の本は。
「パチュリーが一ヶ月前には教えて欲しいって言うんならそうするぜ。一ヵ月後に改めて迎えにくる」
「問題ないようよ小悪魔」
「ケースバイケースですよパチュリー様」
 ジト目で「話と違うんじゃないかしら?」とパチュリーに見られるも、小悪魔はしれっといなしてみせた。
「人の話聞いてないわけじゃないよな?」
 図書館組コントでは蚊帳の外な魔理沙が確認に問う。
「ちゃんと聞いてますよ魔理沙さん。一ヵ月後の予定に温泉旅行を入れておきますね」
「頼むぜ。忘れてたら怒るぜ」
「予定は忘れないわ。日付は忘れるけど」
「パチュリー様曜日感覚はともかく日付感覚はありませんからね……」
 パチュリーは曜日に合わせて魔法を使い分ける趣味があるので曜日を間違えることはまずない。その反面日付を気にしないという悪癖があるのだった。
「忘れないよう頼むぜ、小悪魔。パチュリーはアテにならなそうだ」
「はい、頼まれました魔理沙さん」
「むきゅー……」
 口をバッテンにして唸るパチュリー。
 さて、と言って魔理沙は椅子から立ち上がった。
「じゃ私はそろそろ行くぜ」
「帰るの?」
「いや、妹君(いもうとぎみ)のところへ行く。午後の予定が空いちゃったからな」
 じゃあな、とばかりに手を挙げて魔理沙は図書館組に背を向けた。
「じゃあね」
「本を返す前に死なないでくださいね」
 背中に掛けられた声に苦笑して、魔理沙は図書館を後にした。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 ぎぃと音を立ててドアが開き、ぱたんと音を立ててドアが閉じた。

 パチュリーは温くなった紅茶を飲み干して小悪魔にお代わりを要求した。要求に応え、暖かい紅茶をカップに注ぐ小悪魔。
 二度口付けてパチュリーは砂糖とミルクを求めた。求めに応じて砂糖とミルクを紅茶に入れる小悪魔。
 そっと口付け、パチュリーは小悪魔を見上げた。なんでしょうか、と首を傾げる小悪魔。
「甘いわ」
「甘すぎましたか?」
「そんなにでもないわ」
「そうですか」
 付き合いなさい、とパチュリーに言われ、小悪魔は対面の席についた。ティーポットから自分のカップに紅茶を注ぎ、ゆっくりと傾けてほっと一息。
 パチュリーは本に意識を向けてぼんやりとした雰囲気でページを繰っている。ぱらりぱらりとページをめくり、思い出したように甘いミルクティーに手を伸ばす。
 小悪魔は背もたれに体を預けてゆるりと弛緩した。時折紅茶を啜ってその香りに安らぎ、心身ともに休息を取った。
 図書館内をページをめくる音と茶器の立てる音が支配する。
 静寂の中、小悪魔は寝息を立て始めた。すうすうと穏やかな寝息。
 寝息に気づいたパチュリーはページをめくる手を止めて小悪魔に目をやった。寝息同様に穏やかな顔で眠っている。
 しばし小悪魔の寝顔を眺め、パチュリーは再び本に目を落とした。
 読んではぺらりとページをめくり、ちらりと小悪魔を見、本に視線を戻し。
 読んではぺらりとページをめくり、ちらりと小悪魔を見、本に視線を戻し――。
 そうこうしているうちにパチュリーは最後のページをめくり、本を読み終えた。
「…………」
 本を閉じて視線を小悪魔の寝顔に向ける。悩みも憂いも窺えない小悪魔の寝顔。
「………………」
 パチュリーはそっと椅子から立ち上がった。テーブルを迂回して小悪魔の横へ移動する。床に敷き詰められた絨毯がパチュリーの足音を吸い込み、静寂を乱さない。小悪魔の寝顔にパチュリーの影が差した。小悪魔は目覚めない。
 パチュリーは無造作に小悪魔の頬を指で突いた。ふに、と。小悪魔、反応なし。今度は二度突いた。ふにふに、と。小悪魔は寝息を立てるばかりで反応を返さない。
「…………」
 頬の上を滑らせ、指先で小悪魔の唇に触れる。反応なし。
 ぼんやりと、自分は何をしているのだろうと思いながら、パチュリーは白い指で小悪魔の唇をゆっくりとなぞり始めた。
 細い指先が這うように上唇をなぞり、終端に辿り着くと今度は折り返して下唇をなぞっていく。
 穏やかな寝息をもらす小悪魔の可憐なそこを、パチュリーはぼんやりと愛でていた。

 不意に。パチュリーの指先を何かが捕えた。
 ぴちゃ、という音がして、濡れた粘膜質の何かが捕えられた指先を撫ぜていく。
「ぁっ……」
 指先から背筋を通って頭の天辺まで、パチュリーの身体をぞくりと電気が駆け抜けた。
 何が起こったのかとぼんやりとしていた思考を起こして、ぼんやりとしていた眼を正して指先を見定めるパチュリー。
 眼の先には、寝ぼけて主人の指を咥え、舌で弄う小悪魔の姿。
 指を引き抜いて頭の一つも小突いてやろうと思ったパチュリーだったが、再び身体を走った電気に固まってしまった。
 ぴちゃ、ちゅく、ちゅう、と水音がする度にパチュリーの身体に甘く電気が走る。
「んっ……!」
 パチュリーが小さく声を漏らす。舌が指先を撫ぜ、ぞくりともぞわりともつかない電気が身体を走る感覚に、彼女は快感を覚えていた。
「ん……んんっ……」
 猫背気味の背筋を丸め身体を緊張させて快感を、もとい漏れる声を抑えようとするパチュリー。
 だが、畳み掛けるかのように小悪魔の舌技が勢いを増す。寝ぼけ小悪魔はパチュリーの指をより深く咥え、免疫のない身体に甘い毒を塗りこんでいく。
「んっ……く、ぅぅ……ん……っ」
 ぞくぞくぞわぞわと甘美な毒がパチュリーの身体をまわっていく。意識を占めていた拒絶が、求める側に傾いていく。
 唐突に、音を立てて小悪魔の口からパチュリーの指が開放された。口と指の間に唾液が光る糸を引く。
「あ……」
 パチュリーの口から落胆の声が漏れた。もっと欲しかったのに、との声が。
 濡れていない方の手がくしゃりと衣服を握り締める。苛立ちまぎれの八つ当たりに小悪魔を小突き起こそうとパチュリーは手を上げた。
 だがその手が小悪魔に振り下ろされる事はなかった。
「ひきゃっ!?」
 かわいい悲鳴を上げて飛び上がるパチュリー。無防備なお尻を誰かがいやらしく撫で上げたのだ。
 真っ赤な顔で背後を振り返るパチュリーだったが、不埒者の姿は無い。
「なんなのよ……」
 前を見るとばっちり瞳を開いている小悪魔と目が合った。
「相変わらずいい触り心地と感度ですね、パチュリー様」
 にっこりと微笑みかけながら痴漢現行犯を自白する小悪魔さん。
「ねっ、寝てたんじゃないの小悪魔!?」
 心臓をばくばく言わせながらパチュリー。
「寝てたんですけどね……」
 ふわぁ、とあくびを一つ。
「人の唇を物欲しそうになぞる方がいて目を覚ましてしまいました」
 穏やかな微笑を湛えながらパチュリーを見つめる小悪魔。その笑顔の下で何を考えているのかは、主のパチュリー・ノーレッジにも窺えない。
「それはね……違うのよ」
「何がですか?」
「何がって、それは、その……」
「その? 何でしょう?」
 しどろもどろに弁解を試みる主だったが穏やか笑顔の司書さんのプレッシャーにあうあうと追い詰められるばかりである。
 そもそもぼんやりとなんとなくでとってしまった行動なのだから論理的に理屈だてて弁解するのは非常に難しい。
 正直にそう言ってしまえばいいのだが、知識人と主のプライドと体面がそれを許さない。
 終いにはギブアップとばかりにパチュリーは唸ってしまった。むきゅー。
 そんなパチュリーを見て、小悪魔はくすりと笑った。
「大丈夫です。分かってますよ」
「小悪魔……」
「シたかったんですよね。パチュリー様」
「……え」
「この前は頑張りすぎちゃってちょっと大変なことになっちゃいましたから、今日はほどほどにしておきますね」
 ふふ、と笑って小悪魔は指を鳴らした。カチャン、と遠くで錠の下りる音。
「でもパチュリー様が体力ないのも悪いんですよ。身体の求めに応えられるだけの体力は養ってほしいです」
「え、えっ、ええっ? ちょっと」
 混乱し、うろたえるパチュリー。その隙逃さぬとばかりにパチュリーを懐中に取り込んでいく小悪魔。
「指ちゅぱを火口にするなんて、フェチですね。パチュリー様は。……そこがよいのですけれど」
 小悪魔は言葉を紡ぎながらパチュリーの着やせする肢体に手指を伸ばしていった。パチュリーの火口に燃料をくべていくように。
「っあ……! こあくまぁ……」
「この時間だけは、主従逆転ですね。パチュリー様」

 しゅるりという音がして、小悪魔のタイが絨毯の上に落ちた。






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