東の国の辺境のどっか、幻想郷。
 バカでおてんばで恋娘な氷精や、『我輩は力のある妖精である。名前はまだない』な妖精なんかがふわふら飛んでいたりする湖。
 その湖のどっかの島にあるお屋敷、紅魔館。
 その紅魔館の、地下室でありながらどこぞの神社よりよっぽど豪奢な部屋。
 白くて大きなベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせながらフランドール・スカーレットは言った。

「お酒が飲みたい」

 宴会でもなんでもないこの状況で真昼間っから酒が飲みたいとはいいご身分な発言だが実際にフランドールはいいご身分なのであった。
 対面に座っていた霧雨さんちの魔理沙さんは「よっし、私におまかせだぜ」と言うが早いか地下室を出、紅魔館の一室で高そうなワインとグラスを二つくすねて、メイド長につかまった。
「ワインは後で返すってワケにはいかないわよ」と、黒白の泥棒鼠の首根っこを掴みつつメイド長。
「いやいや咲夜」
「後で水を詰めたボトルを返すぜ」、と言おうとして魔理沙はやめた。
 咲夜はメイドクールだから「水じゃなくて血がいいわね。利子つけてボトル二本分」とか言って鷲巣麻雀の血抜き装置あたりを持ってきかねない。
『魔理沙の致死量はおよそ1000cc。ワインボトル二本弱である』
 そんな古谷徹のナレーションが聞こえてきそうだと魔理沙は思った。古谷徹ってだれ?
「妹君のご所望だぜ。酒を持てとのお言葉だ」
 と、事情を言うのだが猫度24点のジャック・ザ・リッパーは捕まえた乙女を離そうとしない。
「おーいアイアンメイデン、離しちゃくれないか?」
 催促するが離しちゃくれない。
 はてさてと咲夜を窺うと何やらう〜んと考えている。
「おーい……お?」
 魔理沙がふと気が付くとメイドのロックは外れてワインボトルとグラスもない。
 背後を見るとワインとグラスでジャグリングしているメイドがいた。
「お嬢様の言いつけで妹様にはアルコールを飲ませちゃいけないのよ」
「なんでだ? 酒癖悪いのか?」
 確かに酔っ払ったフランドールが大暴れする様はたやすく想像出来るが、実際どうなのかは目下不明である。
「私も理由は知らないわ。ただ飲ませちゃダメ、としか」
 ジャグリングしながら答えるメイド。いつのまにかボトルとグラスだけでなくナイフも数本回っている。
「そういうわけだからあんたも飲ませないように。妹様が酒乱起こしたら洒落じゃ済まないんだからね」
 釘を刺して咲夜は去っていった。鼻歌交じりにジャグリングしつつ。鼻歌は『ひげダンス』のアレ。
 あとに残された魔理沙はう〜んと軽く考えてフランドールのところへ戻ることにした。
「なんで『オリーブの首飾り』じゃないんだろう」と思いつつ。
 魔理沙が地下へ降りると、フランドールの部屋の前にアンティークの洒落た銀盆が置かれていた。
 銀盆の上にはオレンジジュースと二つのグラス、軽くつまめる小料理の類。
 咲夜の気遣いだろうと魔理沙は当たりをつけ、銀盆を持ち上げて部屋の中へ入った。

「そんなわけで酒は持ってこられなかったぜ」
 と、魔理沙はフランドールに事の顛末を説明してグラスに注いだオレンジジュースを差し出した。
 膨れっ面でフランドールはグラスを受け取り、くるくると水面を揺らして遊ぶ。
「まあ、そうむくれるなって」
 言って魔理沙はオレンジジュースを注いだ自分のグラスとフランドールのグラスを合わせた。チィンと涼やかな音が鳴る。
「乾杯」
「……乾杯」
 二人はグラスを傾けた。
 初めこそ膨れっ面をしていたフランドールだったが、グラスを傾け、小料理を摘むうちに満更でもないといった表情になっていった。
 流石は完全で瀟洒なメイド。飲み物と小料理のミスディレクションで不満をかわしてのけた。
「美味いな」
「うん」
「フランは酒飲んだことはあるよな?」
「あるよ。そのときはおいしいって思わなかったけど」
「そうなのか? じゃ、なんで急に飲みたいなんて思ったんだ?」
「なんでって、そういうものじゃない? 魔理沙だってなんとなくお酒飲みたくなったりするでしょ?」
「それはあるけどな、私はお酒が美味しいって思えるから、なんとなく唐突に飲みたくなるのも分かる。
 でもフランはお酒が美味しいって思えないんだろ? なら飲みたいなん思わないんじゃないか?」
「もっともな意見ねワトソン君」
「何か理由があると見るぜホームズ」
「もちろんあるのよワトソン君」
「教えておくれホームズ」
 魔理沙の求めに、フランドールは懐かしむような表情を浮かべて語り始めた。
「あれはいつの頃だったかな。んー……。暗い、音のない世界で、1つの細胞が分かれて、3つの生き物が生まれた頃だったわ」
「早く人間になりたい」と合いの手を入れる魔理沙。
「「よーかいにーんげん♪」」
 それはおいておいて、と手を左から右へやる二人。
「その頃に何があったんだ?」
「お姉様がお酒飲んでたのよ。美味しそうに」
「ほほう」
「美味しそうだったから私も飲ませてもらったんだけど」
「美味しくなかったわけだ」
「うん。ゲーってしちゃった」
「うわもったいない」
「で、お姉様に『そのうちフランにもお酒の味がわかるようになるわ』って言われたの。
 私が『そのうちっていつ?』って聞いたら、『そうねえ……飲みたいって思うようになる頃かしら』って」
「ふうん」
 てきとうに言ったのか、考えがあって言ったのか、どちらとも取れる台詞だと魔理沙は思った。
「そして今日飲みたいと思ったわけだ」
「うん」
 頷くフランドール。
「最初に飲んでから今日飲みたいと思うまでに飲んだことは?」
「ないよ」
 フランドールはくぴ、とオレンジジュースを飲み、魔理沙の質問に答えた。
「……すばらしき箱入り娘だぜ」
 すさまじき、かもしれない。
 空のグラスをテーブルに置き、フランドールはとベッドにあお向けに寝っ転がった。
 ほう、と天井を仰ぎ見る。

「お酒、飲みたくなったよ。お姉様」

 悪魔の妹のつぶやきは地下室の天井に溶けて消えた。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 一方その頃。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
 ジャグラー咲夜改め瀟洒メイド咲夜は館の主レミリア・スカーレットの給仕をしていた。
 出されたカップを手に取り、優雅に口をつけるレミリア。
「……RhマイナスのA型、13歳非処女」
「大正解ですわお嬢様」
「ふふふ。まろみが違うのよ。まろみが」
 さらにもう一口。甘露甘露。
「ところで咲夜」
「なんでしょうかお嬢様」
「……フランの様子はどうかしら?」
「魔理沙と何か話しているようです。ああ、そういえば『お酒をご所望』と魔理沙が言っていましたわ」
 ぴくりと反応するレミリアお嬢様。
「りぴーとあげいん咲夜」
「『妹様がお酒をご所望だぜ』って魔理沙が言ってましたわ」
 つらつらっと述べる瀟洒なメイド。
「それで、どうしたの?」
「お嬢様の言いつけ通り、妹様へのアルコール供与は阻止致しました」
「ナイスよ咲夜」
「ありがとうございます」
 労いの言葉に咲夜は頭を垂れた。
「ナイスついでに頼みがあるのだけれどいいかしら?」
「なんなりと」
 レミリアはちょいちょいと指で咲夜を呼んだ。ちこうよれちこうよれ。
「耳を貸しなさい」
「では失礼して」と咲夜は右耳をレミリアに差し出した。
 レミリアは咲夜の耳に唇を近づけ……。
「ぺろっ」
「ひァっ!?」
 舐めた。ぺろりと舌で。
「お、お嬢様……?」
「かわいい声出すのね、咲夜」
 くすりと笑うレミリア。幼いが故に蠱惑的なその笑み。
「お、お嬢様。お戯れを……」
「よいではないか減るものじゃなし」
「ぁあ……」
 耳にかかる悪魔の囁き。
 咲夜は目を閉じて悪魔を受け入れようとして……
「――と。冗談はこのくらいにして」
 主の言葉にがっくりした。
「……冗談だったんですか」
 期待したのに、とは咲夜心中の弁。
「頼みがあるのは本当よ」
「左様でございますか」
「私は咲夜の右にいるから右様じゃないかな」
「お嬢様、『みぎよう』ならともかく『うよう』という言葉はありません」
 そして『みぎよう』だとしても用法が違う。
「まあいいよ。それで頼みっていうのは……」
 こしょこしょと、レミリアは何事かを咲夜に囁いた。
 ふむふむはいはいと首肯して咲夜は自分の胸に手をやった。
「おまかせください、お嬢様。私の名にかけて、その信頼に応えさせて頂きます」
「……期待してるわよ、十六夜咲夜」


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 東から昇ったお日様が西に沈んだ。
 夜の帳が下りた。
 妖怪の時間が来た。

 ――あるいは夕飯の時間が来たでもいい。

 夕飯を前に魔理沙は帰ろうとしたのだが、フランドールがその足を止めた。
「夕飯食べていってよ」と。
 魔理沙も最初は断ろうと思ったのだが、フランドールに服の裾を掴まれて上目遣いで「ね。食べてってよ」と請われてしまってはそうもいかない。
 咲夜の料理が絶品であることもあって魔理沙は夕飯をご馳走になることにした。
 フランドールがその旨を咲夜に伝えると、フランドールの部屋には二人分の夕食が運び込まれた。
「や、悪いな夕飯までご馳走になって」
 苦笑する魔理沙。目の前には十六夜咲夜謹製のディナー。
「妹様のお願いですからね。なにも、問題、ありませんわ」
「そうそう。何も問題ないよ」
 仮面微笑のメイド長と満面笑顔のフランドールのコントラストを前にして笑ってのける霧雨魔理沙。大物である。
「じゃ、遠慮なくいただくぜ」
「その前に魔理沙、ちょっと」
 ナイフとフォークに手を伸ばそうとした魔理沙を咲夜が呼んだ。
「なんだ?」
「こっちへ」
 短く言って咲夜は部屋から出た。魔理沙は怪訝に思ったがそこで無視するほど傍若無人ではない。フランドールに一言断って魔理沙は咲夜に続いた。
「なんだ?」
「夕食が済んだら速やかに帰りなさい」
「いや、そりゃ帰るが」
「速やかに、よ。ご馳走様の後即帰宅」
「おいおい、『親が死んでも食休み』という言葉があるのを知らないのか」
「知ってるけどあなたには適用しないわ」
「ひどいぜ」
 一拍の沈黙の後に咲夜が口を開いた。
「お嬢様がね、妹様に大事な用があるのよ」
「ほう」
「妹様はあなたにべったりでしょう?」
「だな」
「夕食のあと一服してのんびりしていたらどうなると思う?」
「まあ、『泊まっていって』だろうな」
「そこまで分かってるならあとは言わなくても分かるわね?」
「あー、分からんな……冗談だ。ナイフを頚動脈に押し当てるな」
「……いいわね? 協力してくれればあとで見返りは提供するから」
「分かった。見返りが出るならなおのことだぜ」
 じゃ、戻るぜと言って魔理沙はフランドールの部屋へ戻っていった。
 ぱたりと閉められた扉を前に、咲夜は心底上手く行くように願った。

 その結果。
「じゃ、帰るぜ」
「泊まっていけばいいのに……」
 フランドールの部屋を後にする魔理沙と寂しそうに見送るフランドールの姿があった。
「また近いうちに遊びにくるぜ」
「そのときは、泊まってってくれる……?」
 身長差から自然と魔理沙の顔を見上げてフランドールは訊いた。
「そうだな……。次に遊びにくるときはお泊まりさせてもらうぜ」
 笑って答え、魔理沙はフランドールの頭を撫でた。
 くしゃくしゃと頭を撫でられ、フランドールは微笑んだ。
「それじゃ、またな!」
「またねー!」
 ぴっと手を振り魔理沙は紅魔館を後にした。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 魔理沙が帰り一人になると、フランドールには部屋が大きく広がって寂しく視えた。
「…………」
 ベッドに腰掛けてフランドールは一枚のスペルカードを見つめた。
 ――秘弾「そして誰もいなくなるか?」
「…………」
 スペルカードに一滴の雫が落ちたところでフランドールはスペルカードをしまってベッドに背中から倒れこんだ。
 ぼうっと天井を見る。
 独りが、じわりとフランドールを侵していく。
 
 扉をノックする音が静寂を破った。
 どうぞ、とフランドールが言うと咲夜が扉を開けて入ってきた。
「失礼します」
 咲夜は手早く夕食の後片付けをしてフランドールへ向き直った。
「妹様」
「……なに」
 寂しさを不機嫌さに変換した感情が篭ったフランドールの声。
「お嬢様がお呼びです」
 お嬢様、という言葉にフランドールはがば、と身体を起こした。咲夜を見る。
「『一緒にお酒を飲みましょう』と言っておられましたわ」
「本当!?」
「ええ、本当ですとも」
 微笑む咲夜。
 フランドールはベッドから降りて部屋の扉に向かった。
「お嬢様はお部屋にいらっしゃいます」
「わかった。ありがとう咲夜」
 言ってフランドールは部屋から出ていった。
「……ありがとう、ね」
 噛み締めるように咲夜。
「妹様に感謝を述べられる日がこようとは。これも魔理沙の効果かしら」
 さて次はお嬢様の信頼に応えなくては、と咲夜は時を止めて部屋を後にした。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 フランドールがレミリアの部屋をノックすると、誰何の声も返事もなく、扉は開いた。
 部屋の中では夜の帝王然とした様でレミリアが椅子に腰掛けていた。
「いらっしゃい、フラン」
 笑みを浮かべる姉に、妹も笑んで歩み寄った。
「お姉様♪」
「そこに座って。今咲夜が準備をするわ」
 言われた通りにフランドールはレミリアとテーブルを挟んだ対面の椅子に座った。いい座り心地だった。
 ぱたんと扉の閉まる音がしたかと思うと、テーブルの上には二つのグラスが置かれていた。
 そしてテーブルの横にはバーテンダーの格好をした咲夜の姿。
「いらっしゃいませ、妹様。バー『不夜城レッド』へようこそ」
 シェーカーを手にバーテンダースマイルを浮かべたその姿はなかなか様になっていた。
「ご注文は?」
「フランにスクリュー・ドライバーを。私はブラッディー・メアリーを」
「おまたせしました」
 レミリアが注文した次の瞬間にはカクテルが目の前に置かれていた。
「早いわね」
「注文からカクテルをお出しするまでのタイムラグが限りなくゼロというのが『不夜城レッド』のウリでございます」
 瀟洒に一礼するバーテンダー咲夜。
「では、ごゆっくり……」
 言い残してバーテンダーはどこかへ消えた。
「全く、いい心遣いね」
 言ってレミリアはグラスを手に取った。
「わぁ……」
 フランドールは好奇心と憧憬を混ぜた視線で目の前のスクリュー・ドライバーを見つめている。
「フラン」
 呼ばれカクテルからレミリアへ視線を移すフランドール。
「乾杯しましょ」
 言われてフランドールもグラスを手にとった。
「あなたがお酒を飲めるようになったことを祝して」
「えー、と……。お姉様とお酒を飲めるようになったことを祝して」
 乾杯、と姉妹はグラスを合わせた。
 姉妹揃ってグラスを傾け、「美味しい」と二人して笑った

 二人は一晩を掛けて姉妹で飲むお酒を楽しんだ。
 ジュースのようなカクテルばかりとはいえ、お酒はお酒である。フランドールは事実お酒を飲めるようになっていたと言っていい。
 二人はお酒の力を借りて色々なことを話した。
 話しやすいこと。話しにくいこと。そして話したかったこと。
 笑って、笑って、泣いて、怒って、泣いて、許して、笑った。

 空が白む頃にフランドールはテーブルへ突っ伏して寝息を立てた。
 レミリアはフランドールを撫でて、手を挙げた。
「バーテン、お勘定」
「本日は開店記念で姉妹の方は無料になっております」
「嬉しい気配りね。……ありがとう、咲夜」
「感謝の極み、ですわ」

 咲夜が店を畳んで部屋を辞し、部屋には二人だけとなった。
 カーテンを締め切ったレミリアの部屋は日が出ても暗い。明かりをつけなければ闇一色だ。
 そんな中、酔いつぶれたフランドールを自分のベッドへ寝かせ、レミリアはフランドールを撫でた。
 そうしているうちにレミリアにも眠気がやってきた。夜の帝王でも朝と深酒には勝てない。
 あくびをしてレミリアもベッドへ入った。
 瞳を閉じて眠りにつく前に、レミリアは思い出したようにフランドールに口付けた。







SS
ENTRANCE
INDEX






inserted by FC2 system