その日レミリア・スカーレットは暇を持て余していた。
 テラスで一人、ぼんやり夜空を眺める。瀟洒な従者の姿は無い。もちろん呼べば来る。呼ばない限り現れないだけのことだ。
 時は深夜の丑三つ。
 目覚めたらこの時間だったのだ。
 日没直後に起きるつもりが、である。
「流石にこの時間に神社にはいけないわよねえ……」
 ぽつりとレミリアは呟いた。応える声はない。

 レミリアは一度深夜に博麗神社へ赴いたことがある。
「れーいーむー。あーそーぼー」と、寝静まった母屋の玄関をばんばん叩いていたところ――えらい目に遭った。
 がらりと縁側の雨戸が開いて、「うるさいんじゃボケ!」と霊夢が横合いから巫女キック(寝巻き仕様)。
「あんたがやましいせいで!」テンプルに右フック。
「ゆっくり熟睡!」チンに左アッパー。
「できないでしょうが!」上を向いた鼻っ面に叩きつけるようなチョッピングライト。
 レミリアのちっこい身体がゴッと音を立てて敷石に叩きつけられて弾んだ。
「れ、霊夢……、痛い……」
 倒れたままぼたぼただらだらと鼻血を流しつつ小さく抗議するレミリア。
「やかましい! そこへ正座!」
 霊夢は容赦なく近所迷惑この上ない怒声を浴びせた。
 もそのそと身体を起こし、ぶー、といった感じでレミリアはしぶしぶ正座をした。
 ――その後のコトは割愛する。ヒントは『石積み拷問』、『精神注入お払い棒』、『パスウェイジョンタタミニードル』。

「…………」
 レミリアは頭を抱えて、自分の血で文字通り『すかーれっと・でびる』になったときの記憶を『レミリアメモリー』の一番下の引き出しを外したところにしまい込んだ。
 青少年がエッチな物の隠し場所に『机の一番下の引き出しを外したところ』を選ぶのとは多分関係ない。
 外した引き出しをよいしょと戻して記憶の秘匿完了。グッバイフォーエバーマイナイトメア。
「さて、どうしよう……」
 咲夜を呼んで話し相手をさせてもいいのだが、ちょっと気が向かない。
 そこでレミリアはいくつか案を出して『レミリア議会』に掛けた。
 レミリアの心の中で五人五色のレミリアが論議を始める。話し合いのはずが何時の間にやらえらいことになりはじめた。
 飛び交う弾幕、吹っ飛ぶ円卓。議場一面が火の海だ。
 最終的に『レミリア議会』という名の戦場を制したのは「図書館で本を借りて読む」案を提示した『レミリア・ブラック』だった。
 服は破れて上半身はほぼ裸。翼に穴が開き、髪や頬は煤けてひどい有様だった。しかし、勝者は彼女なのだ。
 レミリア・ブラックは拳を高らかに掲げ、「図書館で本を借りて読むんだッ」と叫んだ。
「そうしましょう」
 レミリア・ブラックの勝利をもって今回の『レミリア議会』は終了した。お疲れ様でした。

 テラスを後にしたレミリアが図書館に赴くとパチュリーがまだ起きていた。傍らには小悪魔の姿もある。
「あら、パチェが起きてるなんて珍しいわね」
「この時間にレミィが図書館に来るよりも珍しいかしら」
 意外にも普段のパチュリーの生活時間は規則正しかったりする。研究などに打ち込むとこの限りではないのだが。
「パチュリー様ったら今日は午前中いっぱい惰眠を貪っちゃったんですよ。だからこんな時間になっても眠れないんです」
 あはー、とばかりにレミリアへ説明する小悪魔。
「小悪魔」
「なんですかパチュリーさ「パチュリーキック」ま゛っ!?」
 パチュリーのローキックが小悪魔の脛にヒットした。バキぃっとな。
「お゛を゛を゛を゛を゛を゛…………!!」
「余計なことは言わなくていいのよ」
 脛を押さえてしゃがみこむ小悪魔をよそにしれっとパチュリーは言った。
「パチェはバイオレンスだなあ」
「あなたの妹ほどじゃあないわ」
 くすくすと微笑み混じりに会話を交わす少女二人。横では小悪魔が涙目でジョン・マクレーンばりに「うぁぁ……ふぅあぁぁ……」と呻いていた。
「ところでパチェパチェ。頼みたいことがあるんだけどいいかしら?」
「何かしらレミレミ。私にできることなら相談に乗るわ」
「今とっても暇なの」
「弾幕ごっこなら嫌よ?」
「ううん。暇を潰せるような本を貸してほしいの」
「ならこの『落花狼藉−花散る巫女−』なんてどうかしら。セクシャルバイオレンスエンターテイメントな小説よ。21禁でとってもイイわ」
「それはとってもそそられるんだけど今日はちょっとそういう気分じゃないの」
「ならこれはどうかしら。『私は妹に恋をする。手も出す。』姉妹百合小説よ。におわせぶりなタイトルだけど15禁どまり。よかったわよ」
「それもまたそそられるんだけど、今日はバイオレンスな漫画がいいの。吸血鬼が主人公で従者キャラが出てくるとモアベター」
「ならこれで決まりね。『HELLSING』よ。従者はメイドじゃないけどお勧め」
「ありがとうパチェ。ディモールト愛してるわ」
「私もよレミィ。小悪魔にパチュリーアイアンクロゥ〜を掛けたくなるくらいに愛してるわ」
「いあだだだだだだだだ軽口交じりにアイアンクロー掛けないでくださいパチュリーさまああああああ」
 ふふふ、うふふ、と微笑む親友たち。その一人に頭蓋をぐわしと掴まれた小悪魔は「じゅがい割れちゃう、割れひゃうのぉぉぉぉ」とじたばたしていた。
 めきっいうと音がした。小悪魔の身体がびくんっびくんっと痙攣した。――南無。





 深夜と早朝の境界な時間。小悪魔は紅魔館の外を飛んでいた。
 Q.なんで?  A.おつかい。
 Q.こんな早くに? A.こんな遅くに。
「魔理沙とアリスはベッドでゴロゴロ♪ アリスが転がりこう言った♪」
 ダッフルコートを着ていても寒さが独りの身に凍みるので歌なんぞ歌いつつ。
「『お願い、欲しいの』♪ P.T♪ P.T♪」
 選曲センスにいくばくかの問題があると思われる歌を歌いつつ小悪魔は行く。
「前よし♪ 後ろよし♪ 口よし♪ 手よし♪ 足よし♪ すげえよし♪」
 そしてたどり着いた先は森近霖之助の営むお店、香霖堂。
 開店前なのは重々承知で小悪魔は戸を叩いた。ノックノック。
「おはよーございますー。紅魔館のものなんですけどぉー」
 ノックノック。
「ティッシュペーパーから核弾頭まで、報酬さえ出せばなんでも仕入れる『マッコイ香霖』さんにお願いしたいことがありましてー」
 のっくのっくのっくのっくがちゃ。
「……君か……。こんな時間に一体なんだい?」
 パジャマの上に上着を引っ掛けてサンダルをつっかけた霖之助が戸を開けた。小悪魔にはひどく眠そうに視えた。実際眠いのだろう。
「うちのお嬢様が火急で所望の品がありまして。『マッコイ香霖』さんならなんとかしてくれるんではー、と」
「うん? まあ、物次第ではなんとかならなくもないけど。で、物はなんだい?」
 すぅ、と小悪魔は息を吸った。そしてふぅと吐いた。
「咲夜さんサイズの執事服です。モノクルも付けてください」
「……またそれは難題だな。彼女のサイズは知ってるけど、執事服とモノクルと来たか……」
 考え込む霖之助。そしてジーッと彼を見る小悪魔。
「な、なんだい? 目つきがちょっとこわいというか嫌なんだけど」
「咲夜さんのサイズ知ってるんですか」
 搾り出すような声で小悪魔は問うた。
「ああ、紅魔館のメイド服はうちで受けてるからね。その中に彼女が袖を通す物があったって不思議じゃないだろう?」
「マッコイさん」
「霖之助だよ」
「咲夜さんのスリーサイズを教えてください」
「150万GILだね」
「もうちょっと負かりませんか」
「彼女にばれたら僕はスローターハウス逝きなんだ。最低でもそのぐらいもらわないと割に合わないね」
「……ちぇー」
「それはさておいて。執事服とモノクルだね。火急ってことだけどいつまでに仕上げればいいのかな?」
「日の出までに。厳密には咲夜さんが起きるまでです」
 霖之助が固まった。
「霖之助さん?」
 霖之助、再起動。
「――それは厳しすぎる。冬で日の出が遅いとは言えあと二時間あるかないかだ。おそらく彼女の起床時間も似たようなものだろう。いくらなんでも間に合わない」
「間に合わせてください」
 微笑みの仮面をつけて小悪魔は言い放った。
「だから間に合わな」
「間に合わせてください」
 リピート。
「――――」
「間に合わせてください」
 有無を言わせない小悪魔のプレッシャーに霖之助は折れた。
「……報酬は弾んでもらうよ」
「お嬢様に伝えておきます」
 肩を落とした霖之助に、小悪魔は仮面でない笑顔を見せた。

 そして。『マッコイ香霖』こと森近霖之助は一時間半で完璧な執事服を仕立て上げ、さらにどこからかモノクルをしっかり見つけてきた。
 霖之助はそれらの品と他にもイロイロと執事っぽい品物を外から中身が分からない黒い紙袋に詰めて小悪魔に渡した。
「では報酬のほうは後日ということで」
「一週間以内に頼むよ」
 椅子に腰掛け、背もたれに背中を預けて天井を仰ぎ、疲労を滲ませつつ霖之助は言った。が、それも束の間。商売人の顔で小悪魔を見る。
「ところで。ウィンチェスターの良いのが入ったんだ。どうだい?」
「それはまた次の機会に。急いで帰らないと時間に間に合わないので。ではっ!」
 微笑んで手を上げ、小悪魔は香霖堂を後にした。

 夜も明ける頃、黒い紙袋を手にレミリアは図書館から自室へ戻った。
 扉を閉めて辺りを見回す。人の姿は無い。ベッドに腰を下ろして心の準備をする。
 小さく深呼吸。――よし。 
「咲夜〜咲夜〜。咲夜冠者〜おらぬか〜」
「目の前に居りますレミリアお嬢様」
「うむ、来たか」
 しゅだっ!とばかりに、いつもと変わりのない様子の咲夜がレミリアの目の前へ現れた。
 こほんと咳をしてレミリアは口を開いた。
「おはよう咲夜」
「おはようございますお嬢様」
 挨拶をかわして緊張を解し、レミリアは本題に入った。
「咲夜、何も聞かないでこれに着替えなさい」
 ずい、と黒い紙袋を鼻先に突きつけられ、咲夜は頭にクエスチョンマークを浮かべつつそれを受け取った。
「中を見てもいいでしょうか?」
「見なきゃ着替えられないでしょう。いいから早く着替えてみせて」
「わかりました。それでは…………これ、は……。お嬢様?」
 次の瞬間には見慣れたメイド服姿から執事姿に変貌を遂げた咲夜の姿があった。
 糊の効いたパリッとした黒いパンツに同じく糊の効いた同色のベスト。
 しっかりとした仕立ての白いワイシャツに紅いネクタイ。
 メイドの象徴たるホワイトブリムは姿を消し、代わりにモノクルが左目に掛けられている。
「はあ…………。ステキよ、咲夜……」
 感嘆の息をついて、レミリアは男装の麗人へ姿を変えた咲夜に抱きついた。ばふっと。ぎゅっと。
「あ、あの。お嬢様?」
「なにかしら?」
「この服は、一体?」
「見てわからない? 執事の服よ」
「それはわかりますが。何故このようなものを?」
「執事が欲しくなったの。でも私には咲夜がいるから新しく執事を雇う必要はないでしょ。だから咲夜にメイドから執事になってもらったの」
「何故に執事……」
「昨日の夜パチェから借りた漫画の執事がとっても気に入ったからよ」
 レミリアはバトラー咲夜から離れて時計回りに咲夜の着こなしをチェックした。
「うん、咲夜はやっぱりはまり役ね」
「はあ、ありがとうございます」
 ぴく、とレミリアの眉がはねた。なにやら気になるところがあったらしい。
「咲夜」
 さっきまでの浮かれっぷりはどこへやら。底冷えのする声が咲夜へ掛けられた。
「なんでしょうか」
 しかし咲夜も慣れたもの。職業意識でその身を固め、厳しい主人と相対する。
「ダメよ。褒められたら『感謝の極み』って言わなきゃ。こう『ズパッ』としつつね」
 人差し指を立て、ジェスチャーを交えて演技指導をするレミリア。
「わかりました、お嬢様。……感謝の極み」
 ズパッ、と演技指導にきっちりと応えるバトラー咲夜。この際だからちょっと楽しんでみようという心積もりになっているようであった。


 この日、紅魔館メイド隊は震撼した。
「ねえねえ! メイド長見た!?」
「見た見た! 執事にジョブチェンジしてたわね!」
「咲夜さんの男装……ハァハァ」
「さっきお嬢様をお姫様だっこしてたわよ。こっそり隠し撮りしちゃった」
「ええっ!? 焼き増しして! あとでご飯おごるからっ!」
「細い腰がッ! 腰周りがたまんないのよッ!」
「あのモノクルもいいわよ。メイド長の理知的な印象をより強めてるわ」
「ああん結婚したい! 咲夜さぁ〜ん!」
 こんな按配にメイドたちの詰所は大変なことになっていた。
 さらに執事咲夜の隠し撮り写真がこっそり売り出され、それが飛ぶように売れるんで新たに隠し撮りがされ、それがまた高値で飛ぶように売れて……と。
 きっと今日だけで執事咲夜は一生分の隠し撮りをされることだろう。

 喧騒は門番隊にも及んでいた。
 見回りから戻って休憩になった順にメイド詰所へダッシュ、執事咲夜の写真を買おうとする隊員の多いこと多いこと。
 紅美鈴は珍しく隊長権限を乱用し、執事咲夜の写真をコンプリートしてひたすら観賞していた。
「はぁ……咲夜さぁん…………」
 頬を赤らめ、写真の中の凛々しい男装の咲夜を見つめ溜息をつく美鈴。
「おーい、隊長が恋する乙女みたいな状態になってるぞー」
「相手があのメイド長じゃあ無理もなかんべー」
「隊長のピーーは私の物なのにー」
「勝手にお前の物にすな。バラして犯して埋めるぞコラァ」
「キャーーーおーかーさーれーるー」
 真横で自分を肴に隊員たちがじゃれあっていても、美鈴は溜息をついて写真を眺めていた。
 視野狭窄な恋する乙女症候群であった。

 打って変わって図書館は平穏だった。
 図書館に回されるメイドの殆どが「本さえ読めればそれでいい」タイプで占められているためである。
「それにしても、レミィも好きねぇ」
 ぺらりとページを送りつつパチュリーはつぶやいた。
「パチュリー様も大概ですけどねー。私に絶対命令権行使して『ストリクス』の格好をさせたりとか」
「パチュリー目潰し」
 ざこっ。
「目がっ!! 目がぁぁぁ! あぁぁぁぁ!」
「あなたも大概よね。言わなくていいことを言うことに関しては」
 目を押さえてのた打ち回る小悪魔以外、図書館は平和だった。


 さて、そのころ渦中の人『十六夜咲夜(執事モード)』は。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
 レミリアの給仕をしていた。
 レミリアは眼前に置かれたカップを見て咲夜に問うた。
「血液型は?」
「B型 」
「年齢、性別は?」
「14歳の少女です」
「処女か? 非処女か?」
「100%正真正銘の処女でございます」
「パーフェクトだ咲夜」
「感謝の極み」
 淀みないやり取りを交わし、レミリアはカップに口をつけた。芳醇な味わいが広がる。

 周りはどうあれ。従者と主人は平和だった。





 閑話休題。


「うぉーっす。香霖いるかー?」
 来客を知らせるドアベルの音と共に霧雨魔理沙が香霖堂に来店した。
「……ん、ぁ……魔理沙か……」
「なんだ香霖。こんな日の高いうちから居眠りか?」
 突っ伏していたカウンターから霖之助はゆっくり身体を起こした。眠たげに欠伸を一つ。
「早朝というか深夜というか、そのぐらいの時間に飛び入りで仕事が入ってね。おかげで寝足りない…………」
 ふあぁ、と欠伸をもう一つして、霖之助はまだ寝ぼけている眼をこすった。
「ま、そんなのは私の知ったこっちゃないわけだが。ところで香霖」
「なんだい、魔理沙」
「『ジャッカル』って持ってないか?」
「『ジャッカル』はないな。『パニッシャー』なら126時間ぐらいで用意できなくもないけど」
「むぅ……。今は『ジャッカル』な気分なんだ」
「残念だけど諦めてくれ。流石の僕にもそいつは無理だ」
 霖之助が言い切ると魔理沙は黙って残念そうな表情を浮かべ、上目遣いで霖之助を見た。
 あらゆる精神防壁を容易く貫通する恋色魔法少女の必殺技だ。
 が、眠くて余所見をしている霖之助には通じなかった。必殺技とて当たらなければどうということはないのである。
 くわぁ、と三度あくびをする霖之助。その平和そうなツラにぴきりと来た霧雨さん。拳を固めて魔力を集中。いざ殴りかかろうとしたところで、
「霖之助さん、いる?」
 二色蝶の邪魔が入った。博麗神社の霊夢さんである。
「ああ、いるよ……」
 返事を打ってさらにあくびを一つ。いい加減に覚醒して欲しいと霖之助は思った。
「あくびで挨拶をするのが新しいトレンドなのかしら?」
「そういうわけじゃないよ。ちょっと寝足りないんだ」
 頭を振って覚醒を促すも、どれほどの効果があるものやら。
「珍しいわね。魔理沙みたいに何かにかまけてたのかしら?」
「深夜と早朝の境界に叩き起こされて仕事をしたんだよ。仕事が終わる頃には寝るというより起きる時間になっててね。定休日でもないのに休むわけにもいかないからそのまま起きてるんだ」
「一体どんな仕事をしてたんだ香霖」
「守秘義務があるから秘密だ」
「あら魔理沙居たの」
 さも今気づいたとばかりに霊夢は言った。いけしゃあしゃあ。
「居たぜ」
「ところで霖之助さん」
「なんだい?」
「私のことは無視か」魔理沙、蚊帳の外。
「銃剣(バヨネット)型お払い棒作って。二つ。もしくはいっぱい」
 楽園のステッキーな巫女さんは笑顔で言った。





 咲夜がメイド長から執事にジョブチェンジして早くも一週間が経過した。
 びっくりするようなことも、一週間も続けばそれが当たり前になってしまう。それが幻想郷。
 紅魔館の喧騒も次第になりをひそめ、平穏を取り戻しつつあった。
 だが、それはあくまで紅魔館内において十六夜咲夜が執事の格好をしているのが当たり前に捉えられるようになったのであり。
 もちろん外部においては今だ当たり前ではない。
 紅魔館外では『十六夜咲夜=メイドの格好』の認識なのである。

 つまり。射命丸文が咲夜の執事スタイルを見て号外を発行してもなんら不思議ではない。っつーか発行した。それも大量に。
 んでもって幻想郷の端っこである博麗神社から死神と閻魔様のテリトリーである彼岸まで配り歩いた。っつーかばら撒き歩いた。「号外をー届けにー来ましたー」ってぇ感じに。
 そんなわけで『瀟洒なメイド長、完璧な執事にジョブチェンジ!』の見出しが躍る新聞紙が幻想郷中を舞い踊った。
 射命丸さんったら書くことに欠いていた様子で、あることあること推察推測のないことを巧みに織り交ぜて読者が喜ぶ新聞記事を作り上げて発行した。
 これがまた結構な好評で、文ちゃんは『うわーい』な顔で踊り飛んでいたそうな。
「いやはや。メイドの格好までして紅魔館に潜り込んだ甲斐がありました。……次は兎の格好をして永遠亭に潜り込んでみましょうか」
 その後バニーガールの格好で永遠亭に潜入を試みるブン屋の姿があったとかなかったとか。





 白玉楼。
 幅二百由旬とも言われる西行寺のお庭を小柄な庭師が駆けていた。
「けやぁああああああっっ!!」
 気合は一閃。
 手にした二刀からは無数の剣閃。
 剣閃は伸び過ぎた枝葉を斬り散らし、庭の景観を整えていく。
 庭師、魂魄妖夢は愛刀を振るって仕事をしていた。
 慣れているとはいえ二刀で剪定バサミ顔負けの仕上がりを見せるのだから、なかなかどうして大したものである。
 すぱすぱすぱすぱすぱぁっと瞬く間に剪定を切り上げ、妖夢は箒と塵取で切り落とした枝葉を集めてゴミ捨て場に捨てた。庭仕事オワリ。
 さて、一服して今度は剣の修行を……と妖夢が考えていると主人の声が聞こえてきた。
「妖夢ー。妖夢ー。よーおーむーー」
 手を叩きながら呼びかける主人、西行寺幽々子。
「はーい、お呼びですか幽々子さまー」
 返事を一つして妖夢は幽々子の元へ馳せ参じた。ずさっとな。
「妖夢、庭掃除は済んだのかしら?」
「はい、さっき終わりました」
 はきはきと返事をするちっこい庭師に幽々子はそう、と相槌を打った。
「それじゃ、着替えましょうか」
「はい?」
 妖夢は小首を傾げた。
「着替える、と言いますと?」
「紫に頼んで手に入れてもらったのよ」
 幽々子は足元の黒い紙袋からある衣服を取り出した。
「これは……」
 黒いベストにパンツ。そして白いワイシャツに赤いネクタイ。
 それは、号外で見た十六夜咲夜の着ていた服――。
「妖夢、私の『執事』になりなさい」
「わかりました。冥界一切れ者の執事をご覧に入れます」
『カリスマッ』を存分に見せ付ける幽々子と忠実な従者っぷりを見せ付ける妖夢。
 傍らの半幽霊は「やれやれまた幽々子様の厄介な性格が頭をもたげてきたぞ」と思った。





 閑話休題その二。

「私は神の代理人。楽園における唯一絶対の神罰の代行者。私の使命は幻想郷の平穏を乱す愚者をそのスペルカードの最後の一枚まで叩きのめし尽くすこと。
 ――SAISEN」
 窓の逆光を背に銃剣(バヨネット)型お払い棒を二本、十字に組み合わせて霊夢は言った。
「…………」
「…………」
 魔理沙と霖之助は無言で湯飲みを傾けた。ずずずずっとな。
「…………」
 霊夢はアンデルセンポーズのまま固まっている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「賽銭ってどうよ?」
「五月蝿いッ!」
 魔理沙に銃剣(バヨネット)型お払い棒が命中した。





 その日は小春日とでもいうべき天気と気候の良さだった。
 絶好の洗濯日和。そして布団を干すには絶好の天気。
「今日は全館の布団を干します」
 咲夜の鶴の一声で紅魔館は全戦力を結集して『全館布団干し作戦』を敢行することになった。

「くわぁ…………」
 正門前でぼけらーっと門番をしつつ、美鈴は大欠伸をした。見咎める者はなく、気にする体面もない。
 部下の門番隊は美鈴以外全員『全館布団干し作戦』に徴集されている。今頃は布団を運んで干して叩いているんじゃなかろうか。
 ぼーっとしているだけでは眠さが募る、と美鈴は何かに思考を費やすことにした。
「布団干しかぁ……」
 思いついたワードを口にして、そこへ思考を飛ばす。
 布団。お日様に干してふかふかになった布団。寝ると気持ちがいいのよねぇ……。
 美鈴は干した布団に思いを馳せ、さらに布団に包まって眠る想像を始めた。
「くー……すー……」
 そして一分後には居眠りをこいていた。眠気を紛らわすために眠る想像をすれば当然ってぇところだ。
 そんな門番に接近する影が二つ。一人は死装束を纏い、もう一人はフードの付いた外套で小柄な全身を頭からすっぽり包んでいる。

 気を使う程度の能力レーダーに感! 正面! 距離300メートル!

 スクランブル! まわせーっ!
 とばかりに美鈴は跳ね起きた。戦闘態勢に移行し、肉眼で索敵する。とても居眠りこいてたようには見えない軽快さだ。
 美鈴は正面に二人連れの姿を視認した。距離はさっきより近づいて約200メートル。
 ふよふよと接近してくる相手に先手を打つべく、美鈴は自ら距離を詰めた。一足で飛び込める間合いまで近づき、「あら」、相手が誰なのかを特定した。
「こんにちは。え〜〜と、用務員さん」
「門番ですッ!」
「ところであなたの主人と執事に会いたいんだけど」
 聞いちゃいないぜ馬耳東風。
「……アポイントメントはお取りでしょーか?」
「ないわ」
「じゃ速やかに帰ってください」
 しっし、とばかりに美鈴は手を振った。
 幽々子は隣の小柄フードと顔を見合わせた。そしてにこやかに笑い。
『未生の光』が美鈴を貫いた。
 何が起こったのかわからず、呆然とした顔で美鈴が傾ぐ。
「あ……え……?」
 辛うじて踏みとどまる美鈴の前に亡霊の影。
「顔色が悪いわね。大丈夫?」
 満面の笑みで気遣いの言葉を嘯く下手人幽々子。
「こ……、の……!」
「ではごきげんよう」





「さっ、さっ、咲夜さーん!」
 物干し場で布団叩きを手に『全館布団干し作戦』の指揮を執っていた咲夜の元にバタバタとメイドが駆けてきた。
「どうしたのヘープナー。また誰かにセクハラでもされた?」
「はい、さっきもテイラーさんに……。じゃなくて!」
 駆けてきたがために乱れた息を強引に飲み込んでメイドが報告する。
「敵襲です!」
「! へえ……」
「美鈴さんが落とされました! 現在門番隊が玄関ホールで仇討ち交戦中!」
「それで、敵の兵力は?」
「敵は二名! 一人は正体不明! もう一人は……!」
 息継ぎをして続ける。
「天衣無縫の亡霊、西行寺幽々子!」
 ため息を一つ、疲れた表情で咲夜は言った。
「……いつぞやの亡霊。また来たか」





 さて、紅魔館玄関ホールに佇む人影二つ。
 一人は西行寺幽々子。
 もう一人はフード付き外套を着込んだ小柄な誰か。
 そして辺りには死屍累々と横たわる門番隊。
「全く……」
 幽々子はバッと扇子を広げた。
「用件も聞かずに襲い掛かってくるって、どういうことなのかしら?」
 扇子で口元を隠し、嘯く。
 確かに門番隊は用件を聞かず幽々子達に攻撃をかけた。
 だが幽々子達も「レミリアと咲夜に会いに来た」等の用件を言うことなく紅魔館に踏み入っている。力尽くで美鈴を打ち倒してだ。
 文句の言える立場では有るまい。
「さて、邪魔者もいなくなったことだし。あの吸血鬼を探すとしましょうか」

「その必要はない」

 ホールに威厳を帯びた声が響き渡った。
 一迅の風と共にフード付き外套の小柄な影が躍った。幽々子の前に立って盾の様に身構える。
「あら、あっちから来てくれたわ」
 楽しげに言う幽々子。
 二人の侵入者の目前で、正面にある両開きの扉がゆっくりと内に開いた。
 そこには紅魔館当主、永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットの姿。
「……いつぞやの亡霊。何しに来た?」
 険のある声でレミリアが問う。
 幽々子はクスリと笑い、レミリアとは対称的に穏やかな声で答えた。
「うふふふ。いえね、あなたの従者だけが執事じゃないことをアピールしに来たのよ」
「――ふん。お前の従者も執事だってか?」
「そのとおり」
 パタパタと扇子を扇ぐ幽々子。
「なら見せてもらおうじゃないか。貴様の執事とやらを」
「ではとくとご覧あれ」
 扇子をバッとたたみ、フード付き外套に囁いた。
「妖夢、私の執事になりなさい」
「かしこまりました、幽々子さま」
”妖夢”はすっぽり被っていた外套に手を掛けた。
 ばさりと、脱ぎ捨てられた外套が宙を舞う。
 外套の下には執事咲夜の服をダウンサイジングした衣装に身を包んだ妖夢の姿があった。

 後にレミリアはこの光景をこう述懐する。『ショタ執事が舞い降りた』と。

 微妙に曲がっているタイ。背中には二刀。頭にはきくらげめいたリボン。
 そして。
「くっ! 西行寺、貴様ッ! 正気かッ!?」
「狂気も正気も私たちにとっては同じではないかしら。スカーレットのお嬢さま」
 めがね。メガネ。眼鏡。
 あろうことか執事妖夢は眼鏡をかけていた。ちょっと野暮ったい感じの丸眼鏡である。
「馬鹿な……! 切れ者の執事に丸眼鏡だとッ!?」
「キリッとしてるのに、丸眼鏡。クール+可愛げ。このギャップにあなたは耐えられるかしら?」
 ふふふほほほほと笑う幽々子。
 レミリアは苦しげに小さな胸を押さえつけて冥界組の二人を睨む。
「こ、この程度……でっ」
「ならもう一押し。妖夢、『上目遣い』」
「かしこまりました、幽々子様」
「なッ!?」
 マズイ、とレミリアは思った。思わず荒木調になってしまうぐらいにマズイと思った。
(馬鹿な。上目遣いだと? あの眼鏡執事が私に上目遣いだと。マズイ。それは絶対にマズイ!)
 レミリアと妖夢では妖夢の方が若干身長が高い。
(つまり上目遣いをするには跪く必要がある。跪いて、上目遣いだと!? 馬鹿なッ! 西行寺のヤツ、私のツボを知っているとでもいうのかッ!?)
 妖夢はレミリアに向かって歩を進め、片膝をついて恭しく頭を垂れた。
(マズイ! マズイ! マズイ! マズイ! マズイ! このままヤツに上目遣いをされたらッ!!)
 ゆっくりと妖夢が面を上げていく。
(私はあまりの萌えにッ! 悶え転がってしまうッ!!)
 ブチャラティよろしく「うわぁぁぁ」な状況に陥ったレミリア・スカーレット。
 幽々子は勝利を確信した。
 だが、――次の瞬間その確信は崩された。

 かつん、という靴音。黒い執事服と艶やかな銀の髪が翻る。
「申し訳ありません。遅れてしまいましたお嬢様」
「さっ、さっ、咲夜ッ!」
「お嬢様、まだ荒木調ですわ」
 駆けつけた咲夜が一瞬にして状況を把握し、時を止め、レミリアを抱き上げて距離を取り逃れたのだ。
「あぁん。惜しい。もうちょっとでお嬢さまが萌え転がるところが見られたのに」
 きゃんきゃんと首を左右に振る冥界の姫君。
「……お嬢様の萌え転がるところ」
「咲夜、邪念が見えるわよ」
「失礼しました」
 こほんと咳をして咲夜はお姫様だっこで抱いていたレミリアを下ろした。幽々子と執事妖夢を睨む。
「いつぞやの亡霊、何しに来た?」
「既視感を感じる科白ね。ペットよろしく従者も主人に似るのかしら?」
「なに?」
「かくかくしかじかというわけよ。咲夜」
 執事咲夜の後ろに隠れ、執事服の裾をきゅっと握ってレミリアは言った。
「なるほど、そういうわけですか……」
 咲夜のモノクルが妖しく光る。
「ではもうそちらの用は済んだでしょう」
「咲夜……」
 咲夜を見上げるレミリア。咲夜はレミリアににこりと微笑みかけた。
「勿論ですとも、レミリアお嬢様」
 す、と咲夜は一歩前に出た。
「亡霊一匹たりともこの紅魔館(やしき)から帰しません。この小娘に我々の授業がいかに高額か、教育してやりましょう」
 脇に垂らしていた両手を、咲夜はゆっくりと前に上げて顔の前で交差させた。両手には黒い皮手袋が嵌められている。
 く、と咲夜は軽く右手の指を曲げた。

 その瞬間。妖夢のきくらげリボンが裂け散った。

「なっ!!?」
 驚きの声をあげる冥界の主従。
「外したか……。やはり、練習のようにはいかないモノね」
 カッカッと足音を立てて歩みつつ咲夜は言葉を続ける。
「改めて。十六夜咲夜。スカーレット家執事。元紅魔館メイド長兼清掃係」
 足を止めて咲夜はきゅ、と皮手袋を嵌め直した。
「行くわよ」
 右手を振り上げる。皮手袋から伸びた極細の鋼糸が追従して踊った。
「幽々子様! 御下がりを!」
 言うが早いか丸眼鏡執事妖夢は背中に佩いた二刀を抜いた。咲夜の手に従って踊り迫る鋼糸を受け、刀身に絡み付かせて、断ち切る。
「この楼観剣と白楼剣、斬れぬ物など殆どない!」
 心中で舌打ちして咲夜は左の鋼糸を送り込むも、これも妖夢によって防ぎ斬られた。
 刀身を払い、斬、と立ち構える妖夢。
「ふふふ。誰が、教育するのかしらね?」
 艶然と笑う幽々子に咲夜は肩を竦めた。見せつけるように両手の皮手袋を外し、パンツのポケットへ突っ込む。
「では。――教育してやろう。本当の執事の闘争というものを」
 咲夜が左手を振る。飛来過程を素っ飛ばし、妖夢の眼前に四本のナイフが現れた。
「っ!」
 妖夢は白楼剣でそれを打ち払い、その影に現れた七本のナイフを楼観剣で斬り払い、その先へ廊下を埋め尽くさんばかりに現れたナイフの壁に驚愕した。
「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」
「な、あ……!」
「ではごきげんよう」
 パチンと咲夜が指を鳴らす。ナイフの壁は無数の切っ先を冥界の執事へ向け、殺到した。
「し、いぃぃぃぃぃ!!」
 妖夢が吼えた。刹那に右手十六左手十六計三十二の剣閃が疾風迅雷の勢いで走る。
 前方のみから迫るナイフをことごとく斬り払い、執事妖夢は背後の姫を守る。
「らあああああああああ!!!」
 ナイフと刀がぶつかりあって無数の甲高い擦過音と火花を散らす。
 迫るナイフは壁の密度と面積、ある程度の速さこそあったが、着弾タイミングにばらつきがあり重さも軽かった。
 一瞬にして三十二を斬り払う妖夢の剣捌きの前には、――張り子に等しい。
「大見得を切った割にはハッタリだったな咲夜!」
 最後の三十二を斬り払い、妖夢は大見得を切った。守り抜かれた背後の姫は頼もしげに己が執事の背中を見守っている。
 妖夢は右腕を水平に伸ばして楼観剣を咲夜に突きつけた。
「小便はすませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミでガタガタふるえて命ごいをする心の準備はOK?」
 にいぃ、と妖夢は嗤った。丸眼鏡をかけた童顔と裏腹の凄絶な笑み。
 一瞬、咲夜はその笑みに冥界の番犬『ガルム』の姿を幻視した。幻視して、くっと嗤った。
 あのちっこい、少年と見紛う眼鏡の従者が『ガルム』? 『がるむ』の間違いだろう、と。
 咲夜の嗤いに妖夢が切れた。
「何が、おかしいッ!」
 廊下を踏み抜かんばかりの勢いで蹴り、妖夢は咲夜へと駆けた。楼観剣を袈裟に振り下ろす。
 ――ギン、と鋼の噛み合う音。
「大したことじゃないわ」
 振り下ろされた楼観剣を、咲夜は何時の間にか両手に携えたマチェットナイフで受け止めていた。
「吠える子犬みたいで可愛いと思っただけよ」
「減らず口を叩ける状況か。十六夜咲夜」
 妖夢の左手には白楼剣があった。
 咲夜は両手を使ったマチェットナイフの二刀流で楼観剣を抑えている。
「お前の時間も私のものだな」
 白楼剣を振るわれれば、咲夜の手に抗う術は無い。
「その科白を言うには瀟洒さが足りないわね」
「……なんだと?」
 状況は弁えているだろうに、咲夜は嘲るように言った。
「悔しかったらその刀で私の口を塞いではどうかしら?」
 交戦によるテンションの向上で直情径行の気が出始めた妖夢はその言葉に白楼剣を構えた。
「なら望みどおりにしてやるよ!」
 身長差で妖夢を見下ろす咲夜の口を狙って白楼剣が稲妻の勢いで走った。
「咲夜ぁ!」
 レミリアが叫んだ。


「……だいじょうぶですよ。お嬢様」


 レミリアの悲痛な叫びに、くぐもった咲夜の声が帰ってきた。

「馬鹿、な……」
 震える声を口の端からこぼす妖夢。
「うそ……」
 あっけに取られる幽々子。
 咲夜の背後にいるために、状況が見えないレミリア。

「……白”歯”取り。刀使いならこういう技法があることも知っておくべきだったわね」

 咲夜は、あろうことか白楼剣を歯で挟み止めていた。
 繰り出されたのは刺突だったが、切っ先からすぐの部分を噛み受けることにより、全くの無傷で白楼剣を抑え込んでいた。

「デタラメだ。こんな……」
 高揚していた妖夢の戦意が、常識外れの魔技を見せつけられて急速に落ち込んでいく。
「よ、妖夢! ハッタリよ! そんな状態じゃ何もできやしないわ! あなたの優位は揺るいでいないわ!」
 萎えかけた妖夢の戦意を高揚させるべく幽々子は声を上げた。
「ハン。おめでたいな亡霊」
 そんな幽々子にレミリアは有能な部下を持った上司特有の怜悧さを帯びた声を浴びせた。
「もう決着はついてるんだよ」
 衝撃の一言に凍りつき、冥界組は咲夜を見た。

「Exactly(その通りでございます)」

 完全で瀟洒な執事の答えが返ってきた。
 相対するものに戦慄を覚えさせる場面だったが、白楼剣を噛んでいるが故にいささかしまりにかける光景となってしまった。

 だが結果は覆らない。

 空を切ってナイフが飛び、妖夢の身体に突き刺さった。

「な……!?」
 それはさっき妖夢が斬り払ったナイフの一本。

「幻葬『夜霧の幻影殺人鬼』」

 咲夜の口がスペル名を紡いだ瞬間、斬り払われたナイフの群が冥界の執事に殺到した。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 針休めならぬナイフ休め(休んでいないのに休めというのも変な表現だ)と化した妖夢を幽々子に放り投げ、咲夜は一息ついた。
「お疲れ様。鮮やかだったわ」
 かけられた労いの言葉に咲夜は恭しく一礼した。
「感謝の極み」
 レミリアはくすりと微笑んで咲夜に抱きついた。
「初めのナイフの壁はフェイントだったのね」
「ええ。あの娘は正面から伏すには厄介なのでちょっと手品を使わせていただきました」
「咲夜はテクニシャンだなぁ」
 くすくすと笑うレミリア。
「ところであの亡霊はどうしましょう?」
「そうねえ……」
 妖夢の身体で休んでいたナイフを引っこ抜いては投げ引っこ抜いては投げしていた幽々子が視線を向けられてぎょっとした。
「お気遣いなく。もうすぐ帰りますから」
 をほほほほ、とばかりに冷や汗混じりに笑う幽々子だったが紅魔館の主人と執事はにこりともしない。
「ここはやっぱり紅魔館の授業料がいかに高額かを教育してやらないとダメね。せっかくだから――」
「そうですね。せっかくだから――」
 咲夜はレミリアを抱き上げ、レミリアは咲夜に頬を寄せて異口同音に、微笑んで言った。

「「せっかくだから、この地下室への扉を選ぶぜ」」

 愉しげな主従の言葉が耳を抜けるや、幽々子は見知らぬ場所にいた。

「あら? あららら?」
 薄暗い石造りの床、壁、天井。紅魔の主従の言葉から察するに、紅魔館の地下らしい。
 幽々子はきょろきょろと辺りを見回した。傍らに傷を治した霊力を補うべく眠りについている妖夢の姿があった。
「妖夢、妖夢。起きて妖夢」
 ぺちぺちと頬を叩くも、妖夢が目を覚ましそうな気配はない。
 どうしたものかと幽々子が困っていると前方からぶわりと風が吹いてきた。台風接近時特有の重くて湿っぽくてぬるい、風だ。
 否。こんな地下に風など吹く筈が無い。
 錯覚だと幽々子は思った。前方から吹き付けてきたプレッシャーを風と錯覚したのだ。
「誰。いるんでしょう? 出てきなさい」
 妖夢を庇うように幽々子は前に立った。ふわふわと漂いながら、両手に畳んだ扇子を携える。
「なかなか来てくれないから待ちくたびれちゃった」
 薄闇の中から声がして。
 ゆらりと少女が現れた。

 フランドール・スカーレット。

 悪魔の妹、破壊の鬼札。

「ゆら〜りゆら〜り。……こんにちは」
 どこか壊れた笑みを浮かべフランドールは言った。
「……こんにちは」
 目の前にいるのがちょっと気の触れた燃料気化爆弾、いや散弾ミサイル娘と知って、幽々子はややぎこちなく対応した。
「待ってたよ。姿は見えなかったけど、あなたの強力な霊気がここまで漂ってくるんだもの。いつになったら来てくれるのかなーって思ってたんだ」
 楽しげに、無邪気に言うフランドール。
「それじゃー、おまちかねー」
 高らかにフランドールは言葉を紡ぎ、自身の顔の前に両手を挙げた。
 右手は平を、左手は甲を幽々子に向けて、小指と薬指を折り畳み、残る指を立てて合わせ、長方形のフレームを作った。
 紅く狂気を帯びた右目が指のフレーム越しに幽々子を射抜く。
 えっと、とフランドールは前置いて外連味と芝居っ気たっぷりに宣言した。

「では教育してやろう。紅魔館の授業料がいかに高額かを」

 フランドールが四人に増えた。各々手には悪魔の尻尾に似た黒杖を持っている。

「新技ー。禁忌『煉獄のフォーオブアカインド』」

 四本の黒杖が見る間に炎の大剣と姿を変えていく。

「ぢゃんっ♪」
 楽しげにそれを見せつけるフランドール。
 もはや幽々子には笑うことぐらいしかできなかった。
「じゃ、いくよー。きゅっとして、どかーんっと」

 振り下ろされる四本のレーヴァテイン。
「あーーれーーーー」という幽々子のどこかお気楽な悲鳴が地下室に木霊した。




 ギャフン。






SS
ENTRANCE
INDEX






inserted by FC2 system