幻想郷は妖怪の山。そのどっかにあるエンジニア河童、河城にとりのラボ。
 緑色をした一つ目の鉄巨人の頭やら、なにやら機械屑とも鉄屑ともつかないものが所狭しと並べられ積み上げられしているそこへ、射名丸文は遊びに来ていた。ブン屋ではなく妖怪少女として。
 にとりはやってきた文に「工作中だからその辺でしばらく待っててください」と一つ目の頭を指差し、それっきり工作台に向かいきりだった。
 文は一つ目の頭によいしょと腰を下ろして頬杖をつき、ぼんやりとにとりの背中を眺めていた。
 工具を手になにやらやっているのは分かるが何を作っているのかはさっぱり見えないわからない。
「何作ってるの?」
「いいもの」
 答えるようにウインウインと機械的な音がする。
 身体を右へ左へ傾けて文は工作台の上を見ようとするが、よく見えない。なにやらふさふさした毛並みの尻尾のようなものが見えた程度だ。
「いいものねえ」
 一本歯の靴が尻に敷いた頭を叩いてカンと音を立てた。
 所在なさげに組んだ足をぶらつかせ、天井を眺め、周囲を見回し、文は鼻で息をついた。
「お客にお茶ぐらいださないのかい?」
「ん」とにとりは手だけで応じた。挙げた左手が指した先には段ボール箱が一つ。文はふわりと一飛びして段ボールの前に下りた。身体を折って中を覗き込む。小振りなお尻を後ろへ突き出す形になっているのだが、気づいていないらしい。さておく。箱の中には薄い緑とも青ともつかない液体の詰められたボトルがずらりと入っていた。一本掴んで取り出す。まじまじと文は貼られたラベルを眺めた。
「……きゅーかんばー?」
「きゅうり味の炭酸飲料」
「飲めるか」
 にとりの答えにボトルを戻す。そんなものを飲むのは河童だけだと文は思った。
「おいしいよ?」
「遠慮するわ」
 ひょいと飛んで文は一つ目の頭に尻を載せた。グォン、と尻の下で音がしたような気がした。目をやっても変なところはなかったので気のせいという事にする。
 にとりの工作はまだ続いていた。ういーんだの、ヴぃーんだの、ヴヴヴヴヴヴだのといった機械の作動音がぶち抜きの空間に響いて散る。
(さっき見えたふさふさからこんな音がしてるのかしら? あのふさふさから機械の音?)
 不思議に思ったが覗き込む気は起きなかった。
 にとりは工作の手元を見られることを好かないのだ。横合いから首を伸ばそうものならモンキーレンチで鼻の軟骨の部分をガツーンガツーンである。――さておく。
 他に音をさせそうなものないしなぁと疑問を打ち切って、文はせかせかと手を動かすにとりの背中を眺めた。ときおり工作台のふさふさが見え隠れする。
 そのふさふさから文は一匹の犬もとい一人の天狗の事を想起した。
 ――犬走椛。
 下っ端で哨戒を主な仕事とする白狼天狗の一人である。
 哨戒に向いた『千里先まで見通す程度の能力』と白狼の冠の通りに優れた嗅覚、そして毛並みがふさふさの犬、もとい狼耳と尻尾を持つ。
 文は目を瞑り、椛の姿を脳裏に描く。
 ……白狼の名に恥じない、美しく整った毛並みのような短い髪。意思の強さを感じさせる眼。つんとした犬っぽい鼻。少々低めの身長。少年のような肉付きの肢体。
 そのまま続けて椛との思い出に没入する。


 ――「椛は体つきがいいからかわいい男の子と思えなくもないわね」
 ――「人のことを何分もねめつけるように見つめた挙句何を言い出すんですか」
 ――「褒めてるのよ?」
 ――「私には褒め言葉に聞こえませんが」
 ――「半ズボンとか穿いてみない?」
 ――「穿きません」
 ――「じゃ、穿けって言ったら?」
 ――「絶対やだ」
 ――「私、椛の半ズボン姿見たいなぁ」
 ――「私は見せたくありません。それに持ってもいません」
 ――「安心なさい。私が持ってる。というわけで穿こうか。半袖シャツもセットで。着たら一人称は『ボク』で」
 ――「穿かないし着ませんし言いません」
 ――「む〜。それじゃ仕方ない」
 ――「諦めてくれますか」
 ――「力尽くで穿かせるわ!」


 文はうっすらと目を開いた。右手で鼻の頭を撫でる。
 ――「も〜みじちゃぁ〜ん」とばかりにダイブした文を迎えたのは椛の身体ではなく、一葉の紅葉が描かれた丸い盾だった。
「んう」
 眉を寄せて呻く。アレは痛かった。鼻血も出たし。
「おまけにキャンセル超必白狼疾風剣だもんなぁ……」
 シールドチャージのカウンターからきっちりトドメまで叩き込まれ、泣く泣く半ズボン椛を諦めたのであった。文は無念の涙を流した。くそう。
「ぶつくさと何を言ってますか」
 いつの間にかにとりの向きが一八〇度変わっていた。工作は終わったらしい。
「いやいや。椛に半ズボンを穿かせたいな、と」
 文の答えに、半ズボン、と呟いてにとりは半ズボン姿の椛を想像した。おおう、と感嘆の息を洩らす。
「なるほどなるほど。なかなかいい趣味。私はそれに加えて尻尾を増やしたいかな」
「尻尾を増やす?」
 頭にハテナを浮かべた文に「これですたい」とにとりは工作していたふさふさを見せた。文は座っていた頭から下りて近くに寄った。改めて見ると椛の尻尾にそっくりだ。尻尾なら付け根にあたる部分から、きゅうりのような形状と太さの棒が十数センチばかり伸びている。
 文の見ている前で、そのきゅうり部分が件の機械音を立てて動いた。くねったり震えたりとねちっこい蛇のように、見た目よりも遥かに柔らかく、滑らかに。
 おおう、と驚く文に、にとりは指を立て胸を反らして説明を始める。
「この尻尾型振動機をですね、尻子玉を取るところにですね、ぶすっと」
「ぶすっと!?」
「そうすると椛の尻尾が二本に増える!」
「尻尾が二本!」
「そして尻子玉をビビビビビっと刺激することによって妖力ぐーんとアップ!(の効果が見込めるはず)」
「すごいわにとり! 見た目もパワーアップするからとっても自然!」
「その通り! 自然な見た目と振動効果での妖力アップを両立させてみたの! あとコレはあくまでマッサージ機なのでそこんところよろしく!」
「卑猥な目的の道具じゃなくてマッサージ機ね!」
「そう! マッサージ機! 誤解しないように! マッサージ機だから!」
『HAHAHAHAHAHA!!』とハイテンションに笑い、にとりと文はがっしと手を握り合った。
 コンビ誕生である。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 犬走椛の家は、森林に隠された天狗の集落にある。
 板切れを組み合わせ、入り口の上に『もみじ』と木札を掛けた粗末な小屋が彼女のおうち。
 ……だったりはしない。茅葺屋根の平屋一戸建てという標準的な日本家屋である。
「らっかさんしょってー、とーびおーりるー♪」
 家主の椛はなにやら歌を口ずさみつつ炊事場で山菜を切っていた。三角巾と割烹着というスタイルで落下傘はしょっていない。
 一週間ぶりに哨戒任務の非番が回ってきた椛は、溜まった家事を片付けて余暇を過ごしていた。今は非番をいい事に昼過ぎから酒を楽しむべく、肴作りに勤しんでいる。それさえも楽しいのだろう。椛の表情は柔らかだった。
 釜戸の鍋からお玉で中身を一掬い、小皿に取って味をみる。口の中で転がして頷き一つ。
「今日はいい感じだ」
 お昼に作ったけんちん汁も美味しく出来たし、今作ってる煮物も美味しく出来そうだった。
「神社に持っていくには、ちょっと足りないかな? でもそんな頻繁に持っていくのもおかしいか」
 椛の言う神社とは博麗神社ではなく山頂の守矢神社を指す。下っ端ゆえに使い走りをすることが多い椛は守矢神社と懇意にしている。今日も作り過ぎたけんちん汁をおすそ分けに持っていった。近所づきあいというだけでなく、守矢神社の巫女である東風谷早苗の喜ぶ顔見たさについつい足が向いてしまうのだった。
「あるいは迷惑になっちゃうかもしれないし……ほどほどにしないと」
 自分に言い聞かせるように言って、椛は鍋の火を止めた。あとは余熱で事足りる。
 煮物が頃合になるまでは山菜で酒を楽しむとしよう、そう考えて山菜を小鉢に盛ったところで、
「もみじー。いるー?」
 来客があった。戸口から聞こえる声は先輩分である鴉天狗、射命丸文のものだ。
「はーい。ちょっと待ってください」と声を返し、椛は炊事で濡れた手を拭いて戸口へ足を運んだ。頭から三角巾を外して引戸を開ける。
「こんにちは」
「こんにちはっす」
 引戸の向こうには文の他に谷河童、河城にとりの姿があった。二人とも外套を着込み、首にはマフラーを巻いた冬のいでたちである。
「こんにちは。なにか御用ですか?」
「非番と聞いて遊びに来ました」
「おなじく」
「……はあ」
 椛は目をぱちくりさせて二人を中へと通した。文一人、にとり一人でなら来た事は何度かあったが、二人連れ立ってというのは初めてだった。
 二人は勝手知ったる人の家と、炊事場続きの土間を横切って居間へ上がり込み、掘り炬燵へ足を入れる。「はぁ。暖まるぅ」と顔を緩めた文に、スカート丈か靴下の丈を伸ばせばいいのに、と椛は思った。文の格好は夏場は涼しそうでいいのだが、冬場は見ているだけで寒い。「こたつサイコー」と天板に顎を載せて目を細めるにとりの声を背に聞きつつ、椛は炊事場へ行って茶を煎れた。たまの来客なので高い方のお茶葉を使い、河童印の魔法瓶から熱い湯を入れて、丁寧に茶の支度を整えて居間に戻る。
 戻った居間では掘り炬燵の上に緑色のマットが引かれ、その上に白と茶二色の小さな牌がごちゃっと山を作っていた。
 紛うことなき麻雀の支度である。
「麻雀ですか」
「そそ。今日は雀荘『いぬばしり』で麻雀よ」
「人の家を勝手に雀荘にしないでください」
 茶を配って椛もこたつに入った。座布団の上に白い尻尾が横たわる。
「麻雀はいいんですけど三人でですか?」
「そだよ。三人でだよ」
 ずず、と茶を啜る文に代わってにとりが答えた。
「麻雀って普通四人で打つものじゃ」
「三人でも打てるし二人でも打てるよ」
 椛の言葉を遮るように、にとり。
「三人だと物足りない気が」
「充分物足りるわよ」
 同じく遮るように、文。二人ともあらかじめ予想していたかのような答え方だった。
「でも折角だし、あと一人……あ、早苗さんとかどうで」
「「三人で麻雀たのしいよっ!」」
「……はい」
 身を乗り出して言う先輩分と友人に、椛は折れた。
「お金は賭けませんよ」
「賭け麻雀ならそもそも言い出さないって」
「みんなお金ないもんね」
 文とにとりが「あははは」と笑った。外套もマフラーも着けたままで。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 席はそれぞれ、東ににとり、南に文、西に椛、そして北が空席となった。三人とも慣れた手つきで配牌を済ませ局を開始する。
 誰が鳴くでもなく局は淡々と進んでいき、残り牌が少なくなってきたところで、
「おぉっと、文さんのそれロン」
「あやややや。当たっちゃいましたか」
 文がにとりに振り込んだ。役はタンヤオのみと安手である。
「それじゃ一枚脱ぎましょうか」
「仕方ないね。ルールだから」
 そう言って文はマフラーに手を掛けた。
「ちょ、ちょっと待って。脱ぐって、なに?」
 寝耳に水の事態に椛が慌てて問う。
「何って椛」
「お金を賭けないなら着衣を賭けるのが麻雀でしょう」
 男前にマフラーを脱ぎ捨てて文は笑った。
「さ、続けましょうか」
「全裸になったら罰ゲームだったっけ文さん」
「そうだったね。『敗者は勝者のいう事を一つきく』んだよねにとりん」
「そうでしたねえ、罰ゲームこわいねえ」
「こわいねえ」
 じゃらじゃらと牌をかき混ぜ始める文とにとりに、椛は臍を噛んだ。
(は、はめられた……っ)
 この二人は脱衣麻雀という手段でもって椛を脱がせに来たのだ。椛にとってははた迷惑な事に。
(……さて、ここからが本当の戦いだ)
 椛に半ズボンを穿かせる、尻尾を二本に増やすという野望を達成するために、文とにとりが脱衣麻雀という手段を選んだのには理由があった。
 先輩分の文が言っても椛が脱ぐ事は無い以上、実力行使に出ざるを得ないわけだが……椛は意外と強い。
 下っ端とはいえ伊達に山の自衛隊、白狼天狗ではなく、近距離戦闘に限れば文に勝ち目はない。白狼天狗格闘術で丁重に戦闘力を奪われるのが関の山である。技術者肌のにとりも当然のように勝てない。のびーるアームによるオールレンジ攻撃は近接格闘には勝てないのだ。
 弾幕戦に持ち込めば椛の優位を奪えるが、それで獲物を制圧してもスマートさに欠くし、何より面白くない。抵抗しなくなるまでやらねば椛が二人に従う事はなく、その状態の椛を相手に野望を遂げても達成感がない。

 ――恥ずかしがらぬ椛を相手にヤッて何が面白かろうか!

 そこで持ち出してきたのが罰ゲームつきの脱衣麻雀である。椛は比較的真面目な性分、ゲームのルールという名分があればそれで縛る事が出来る。つまり抵抗を封じることが可能だ。さらに『負けたら罰ゲーム』と括ってしまえば勝利を得る事で全てが決着する。
 悪い鴉天狗とエンジニア谷河童が思いついた上手い策に、犬走椛はまんまとはめられてしまった。
 しかし、まだ諦めるには早い。
(負けなければ、どうということはないッ!)
 そう気合を入れて挑む椛だったが劣勢は明らかだった。何せ一対二である。加えて二人は不自然にも脱がなかったマフラーと外套で着衣を常より増していた。椛も外し忘れたエプロンで一枚増してはいたが、気休めである。
「ロン、ピンフのみ」
「くっ……」
 迂闊にも振り込んでしまい、ぎりと歯噛みする椛。悔しそうなその表情を四つの目がにやにやといやらしく見つめる。
「ほらほら、一枚だよもみじん」
 にとりに促され、足袋に手を掛けた椛へ、
「靴下や足袋は一組で一枚扱いだからね、もーみーじー」
 と文が言い、ことさら面白そうに笑った。心中で毒づいて足袋を脱ぎ、椛は牌をかき混ぜ始めた。
(絶対に、負けるもんか!)

 ――しかし椛の決意とは裏腹に局は進んでいく。

 危険感知の嗅覚で振込みを避ける椛だったが、そうすると必然に手が進まなくなる。
「ツモー。タンヤオーのみー」
 安全牌を切って逃れる椛を捕まえるかのようににとりがツモ上がり。
「ローン。椛のそれトイトイホー」
 にとりの捨て牌から安全牌を読めば裏を掻かれて文から直撃。
「わんっ! じゃなくてロンっ! 文さんのそれ! ピンフです!」
 椛もやられるばかりではない。攻撃こそ最大の防御とチャンスがあれば確実に取りに行った。喰らうのは文のみだったが。

 ――脱ぐ一方で着る事がない以上、確実に終わりはやってくる。

 局はさらに進み、遂に大詰めを迎えていた。
 にとりは依然として一枚も脱いでいなかった。
 文は守りの甘さとにとりのツモの煽りを受けて脱衣を重ねブラウス一枚。
 そして椛は普段の装束上下。下着は既に脱いでいて無い。
「もみじぃ……それ、ロン」
 開かれる文の手牌はタンヤオを示していた。そして喰らった椛は一枚脱がなくてはならない。
「う、うぁぁぁ……」
 判断ミスと隠すべき肌を晒さねばならない現実に震え、椛が声を洩らす。にとりと文はその姿を見て愉悦に顔を歪ませた。たまらない。
「もみじん、上下どっち脱ぐの?」
 くつくつとからかうように言うにとり。椛は悔しさをあらわに睨むが、ルールは覆せない。白狼天狗は覚悟を決めて袴に手を掛けた。
「ストップ椛」
 だがその手を文が止めた。続く言葉がにとりを驚かせる。
「今のなしでいいから、足袋を履きなさい」
「んなっ!? 文さん何考えてんスかあ! 生足と生尻が確定してるんスよ!? 大体次一発でも喰らったら文さん全裸じゃないスか!」
 卓に身を乗り出してにとりは食って掛かった。なにせ目の前にあるきゅうりを取り上げられたようなもんである。
「はははは。落ち着きなさいにとり。全裸よりも足袋だけ履いてる方が興奮するじゃない。すっごく」
 冷静に言われ、にとりがぴたりと動きを止める。その姿を脳裏に想像し、顔を赤くして背中を震わせ、口元を押えた。ぺたりと座布団に尻を乗せ口元から手を離す。

 ――衣服を全て剥ぎ取られ、恥ずかしさに頬を染め、涙目で身体を抱いて隠す椛。
 ――頭の白い耳は萎れ、尻尾は少しでも肌を隠そうとお尻に触れて。
 ――そして小さな足だけを僅かに隠す白い足袋。

「これは、すごっく……いいですね……」
「でしょう?」
 椛は足袋を履きながら『この変態』という言葉を喉の奥に飲み込んだ。ちくしょうめ。
「いつまで惚けてるんですか。次いきますよ。あと人の裸体想像するのやめてください」
「おおっと。そうだね。もうすぐ想像じゃなくて……本物が見れるんだものね」
「さらに罰ゲエムだよ。くふ、くふふふふふふ……」
 いやらしく笑う二人に椛はきつく手を握り締めた。
 そして次の局が始まった。にとりを除いた二人は既に残り一枚。オーラスが見込まれるこの局面で椛に親が回ってきていた。――嬉しくない。
 通常の麻雀であれば親の連荘で挽回が期待できなくもないが、何せ脱衣麻雀である。上がればいい麻雀で親の恩恵などタカが知れている。
 椛は手牌を吟味し、最も不要であると判断した風牌は北を場に捨てた。

「ロン」

 左手のにとりがありえない言葉を口にした。
 小気味よい音と共に牌が倒され、にとりの役が場に姿を現す。
 三種類の一九牌に東南西北白發中。椛の振り込んだ北をあわせれば――
「国士無双」
 麻雀に疎い人でも耳に挟んだ事ぐらいはある有名にして強力な役が、そこにあった。
「ありえぬ!!」
 立ち上がった椛の両手が、ばんと卓を叩いた。
「イカサマだ!」
 局が進んだ先にその役が成立するのであればまだ分かる。ごくごく低い確率だが役満が成立すること自体はありえないことではない。だがこの場合は違う。たった一つ捨て牌が出たところで上がりである。これはありえない。配牌が済んだ段階で役満が聴牌しているなど強運だろうが豪運だろうがありえないのだ。もちろん確率はゼロではない。だが限りなくゼロに近い天文学的数字だ。ありえるとすればそれはただ一つ、それはイカサマによってのみである。
「人聞きの悪い事言っちゃあいけませんね、椛」
 ブラウス一枚で煙管を咥えた文が艶然と笑う。下着を脱ぐ際に空けた胸元が酷く扇情的だった。
「イカサマだって言うんなら、当然証拠はあるんだよね?」
 にとりは挑戦的に笑いかけた。煙草大にカットされたきゅうりを取り出して唇に食む。
「それは……」
 椛は口を噤んだ。証拠はない。イカサマは現場を押えるのが鉄則だ。現場を逃した以上、イカサマを証明する術はない。
「ないんならあ、イカサマとは言えないわねえ」
 ぽりんとにとりは咥えたきゅうりを折った。
「でも……! こんなの、ありえるもんか! 認めない! ペテンだ! イカサマだ!」
 頭を振る椛を二人は余裕たっぷりに眺めた。椛がなんと言おうと勝負は決したのだ。もう覆る事はない。
「じゃ証明しなさいよ」
「ぐ……」
「証明できないでしょ。だったら」
「脱ぎなさい。その服を。上下とも」
「ほらあ、はやくぅ」
「脱げー」
「文さんなんてもうのーぱんなんだぞー。椛も脱げー」
「脱げー」
「「脱ーげ。脱ーげ。脱ーげ。脱ーげ」」
 勝者二人が「脱げ」コールで椛を煽る。
「……ううぅぅー」
 椛は力なく座り込んだ。その眼が潤み、雫が浮ぶ。
「やだもん。こんなの、イカサマだもん……。認めないもん……」
 涙目になりながら椛は威嚇する子犬のように二人を睨んだ。それが二人の嗜虐心を酷くそそる行為であるとは露知らず。
「文さん文さん椛ったら脱がないみたいデスよ」
「おやおやそれはいけないねえ。ルールはきっちり守らないと」
「デスよねえ。罰ゲームもちゃあんと受けてもらわないと」
 にまにまと笑みを浮べ、いやらしく目じりを下げて文とにとりは言う。
「やだもん……。脱がないもん……」
 頑なに敗北の受け入れを拒み、椛はすんと鼻をすすった。
「じゃ、仕方ないね」
「仕方ないっすねー」
 文とにとりは立ち上がると、座り込んだ椛を両翼から挟むようにして膝を突いた。椛は不安げに首をめぐらせる。
 左についたにとりが言う。
「脱がぬなら、脱がしてやろう、犬走」
 右についた文が言う。
「罰ゲーム、拒むというなら、力尽く」
 逃げる間もなく椛は押し倒された。不意を突かれての二人掛かりで両腕を押えられては如何な使い手とてたまらない。
「やっ! やだあ! やめて、はなしてえ!」
「はーい脱ぎ脱ぎしましょうねえー」
「そして半ズボン穿きましょうねー」
 抵抗する椛だったが、文とにとりは捕まえた手首を膝で押さえ込んでいた。白狼天狗といえど腕一本で少女の体重は払いのけられない。そして足は掘り炬燵の中でまともに動かせない。
「やあーっ! だれか! だれかあ!」
「ふふふ、叫んだって無駄だよもみじん」
「そうそう。助けなんかこないから諦めて大人しくなっちゃいな」
 悲鳴を上げ助けを求める椛をよそに、悪い台詞を吐きながら二人は獲物の装束に手を掛けた。
「やっ、やだぁ……! 助けてえ……!」
 留め紐が解かれ、椛の肌が暴かれていく。哀れな子犬がお嫁にいけなくなるまであとわずか。助けは来ない。
 ――かと思われたが、天は椛を見放さなかったらしい。
 がらりと引戸が開けられ、外気が家の中へと吹き込んだ。
「こんにちはー。椛さん、お鍋返しに来まし……た……?」
 引戸を開けて姿を見せたのは誰あろう、守矢神社の東風谷早苗であった。2Pカラーなどといわれるいつもの巫女服を着て右手には黒い片手鍋を持っている。
「え……と……」
 早苗は引戸を開けた姿勢のまま硬直していた。家の中で繰り広げられている光景に思考が追いついていないらしい。
 少女二人に椛が押し倒されているのは分かる。その服がひどく肌蹴ているのも分かる。尻尾の付け根があらわになっているのも分かる。おへそがあらわになっているのも分かる。鳩尾があらわになっているのも分かる。胸が際どいところで隠されているのも分かる。わずかに桜色が覗いてい――
「さなえさんたすけてえ!」
 椛の叫びで早苗は全てを理解した。戸口から光並の速度で文へ肉薄ざま、南部鉄の片手鍋を振り上げた。
「へ?」
「ばかーっ!」
 SMAAAASH!!
 ドタマに会心の一撃を喰らい、文は畳と強烈なキスを交わす。半ズボンを握ったまま。
 弾む文を意識の外へ置き、早苗は返す黒鉄を横に構え、左手で鍋底に蓋をし、
「ちょ、待っ」
「けだものぉ!」
 解き放った。
 猫科の肉食獣のような掴みで振るわれた片手鍋が流星の如く疾り、もう一人のお頭をブッ叩く。にとりはきりもみして吹っ飛び、こっちは壁と接吻を交わした。尻尾型振動機を握ったまま。
「こんなかわいい椛ちゃんに一体なにをしてるんですかあ!」
 早苗は左足一本で文をにとりの方へ蹴り飛ばすと片手鍋を翻し、振りかざした。二人が身を起こすが早いか振り下ろす。頭に。何度も。繰り返し。
「待っ! 待って、ちょ! やめっ!」
「いだっ! だっ! まって! お皿がっ、われちゃう!」
 渦中の椛は居間の隅へと逃れて頭を抱え、耳を押えて震えていた。



   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「……ちゃん。椛ちゃん」

 呼びかける声に椛はおそるおそる振り向いた。
「もう大丈夫ですよ」
 そこには慈愛に満ちた笑み(頬に赤のワンポイントつき)を浮かべる早苗が居た。
「あ……」
 椛の目にじわりと雫が湧き、その顔がくしゃと歪む。
「さ……早苗さぁん!」
 泣きながら椛は早苗に抱きついた。暖かい胸元に顔を埋めて涙を流す。
「こわ、怖かったようぅ……!」
 泣きじゃくる椛を抱き、早苗はゆっくりと頭を撫でた。その姿は仲睦まじい姉妹のようで。
「よしよし。もう大丈夫です。私がついてます」
 しゃくりあげ鼻を鳴らす子犬を風祝の少女が優しくあやす。大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、柔らかく撫でる早苗に、椛はこの上ない安心感を覚えた。
 ぐすぐすと続いていた泣き声が徐々に収まり、静かになっていく。
「落ち着きましたか?」
 すん、と鼻を鳴らして泣き止んだ椛に早苗は問い、椛は静かに頷いた。早苗は身体を離してハンカチを取り出し、椛の目に残った涙を拭きとってやった。
「早苗さん、ありがとう」
「どういたしまして」
 にこやかに微笑んで早苗はハンカチをしまった。
「椛ちゃん、よかったらうちに来ませんか?」
「え……?」
 早苗からの誘いに椛はきょとんとした。
「しばらくここから離れた方がいいかなって。おすそ分けのお礼もしたいし」
 椛からは早苗が影になって見えないが、後ろでは文とにとりが血溜まりに沈んでいる。とてもではないが休みを過ごす環境ではない。
「迷惑じゃ……ないですか?」
「全然迷惑じゃありません。歓迎しますよ」
 冬の日向のような早苗からの誘いを断る理由は、椛にはなかった。


 椛と早苗が立ち去ってからしばらく。
 太陽が山裾に姿を隠し始めた頃、物言わぬ物体と化していた二人はわずかに動いた。
「にとり……」
「文さん……」
 血溜まりの中、乙女二人が互いの手を握り合う。
「……生きてる……?」
「……なんとか……」
「椛の半ズボン姿を見ぬまま死ぬのは……無念だわ……」
「しっかりして……。いま、医者を呼んでくる……」
 文は返事をしなかった。それでも、にとりは赤に塗れて這う。
「文、さん……」
 畳に赤い線を引くにとりの身体から力が抜けていく。そして畳に伏し、動かなくなった。


 後日『守矢神社の巫女、正体は“鉄鍋の鬼神”! 犬走の家に散った天狗と河童』なる見出しの新聞を発行した文は、今度は“出刃包丁の鬼神”に追い掛け回される事になるのだが、それはまた別の話。







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