幻想郷の何処か魔法の森。
 木々が茂る森は昼なお暗く、時折鳥とも獣ともつかない鳴き声が聞こえることもあって、人を寄せ付けない不気味さを漂わせている。
 そんな魔法の森を、アリス・マーガトロイドは歩いていた。
 目的地は同じ魔法の森の住人、霧雨魔理沙の家。
 住んでいるだけあって、アリスは全く物怖じしない。黙々と編み上げ靴で道を踏み固めて行った。
 しばらく歩き続け、アリスは霧雨邸に到着した。
 まずは控えめにドアを叩く。
 ――反応なし。
 ドアを叩く。
「魔理沙ー。いるんでしょー。早くここ開けなさーい」
 都会派らしいノックをしながらアリスは呼びかける。
 しかし魔理沙からの反応は返ってこない。
 いい加減に手が痛くなってきたのでアリスはドアを叩くのを止めた。
「居留守を決め込む気?」
 ドアを睨む。
 数日前に貸した、というか強引に借りられた魔導書を今日この時間に取りに行くことは、魔理沙に宣告済みである。
 すぅ、と息を吸い込み、
「居るのは分かってるのよ! 反応がないなら上がらせてもらうわ!」
 一際大きい声でアリスは最後通牒を行った。
 途端に家の中でバタバタと音が立つ。
「ま、待て! 上がるの待てー!」
 誰あろう、霧雨魔理沙の声である。
「すまんが何も聞かずに帰ってくれ!」
 玄関ドア越しの声ではない。邸内のどこからか声を張り上げている。
「はあ!? 何言ってるのよ! 本を返しなさい!」
 同様にアリスも声を張り上げる。
「その……本の事なんだが、もうちょっと貸して欲しい」
「嫌よ。私だって使うんだから。だいたい延長の話をするのに顔も出さないってどういうことよ」
「それは……その……」
「まさかなくしたんじゃないでしょうね?」
「そんなことはないぜ! ちょっと応対に出れない格好なんだ」
「あらそう」
 アリスはドアノブに手を掛けた。回すとドアはあっさり開いた。
 だからアリスはズカズカ上がりこむことにした。ズカズカ。
「あ、アリス!?」
 ドアの開く音に魔理沙の声に驚きが混じる。
「悪いけど上がらせてもらうわ。私にも都合があるのよ」
「わ、私の都合も考えてくれぇ!」
「先に私の都合を無視して本を持っていったのは誰だったかしら? これでイーブンよ魔理沙」
 至る所に置かれたガラクタを避けて、アリスは物音のする方へ向かった。
「……ここね」
 そこは魔理沙の寝室だった。中から何かドタバタと音がしている。
「入るわよ」
「頼む! 待っ」
「待たない」
 アリスはドアを開け、そして――――固まった。

 寝室は大きなベッドが置かれ、他の部屋と比較して整頓がなされていた。
 魔理沙はベッドの上で枕を抱きかかえて恥ずかしそうに座っていた。
 身に付けているものは白いブラウスとドロワーズだけ。
 それだけでも充分な威力。だがさらに、追い撃ちとばかりに――ふさふさとした犬耳と犬尻尾が装備されていた。
 アリスの見ている前で立っていた犬耳と尻尾が萎れて垂れた
「……もう、お嫁にいけないぜ」
 目を伏せて、ぽそりと魔理沙は言った。

 ピチューン。

 七色の人形使い『アリス・マーガトロイド』――撃墜。





 事態にヒューズの飛んだアリスを部屋から追い出して魔理沙は服を来た。どういうわけかスカートからちょこんと尻尾が伸びている。
「やれやれ、どうしたものかね」
 魔理沙が部屋から出ると、再起動の完了したアリスが目を輝かせていた。
「あー、ごきげんようだぜアリス」
「ええ、ごきげんよう魔理沙。それで、それは一体どうしたのかしら?」
 言葉面は平静だがアリスの放つ空気は平静ではない。

 フンス。フンス。

 擬音で表現するとこんなところだろうか。実際に鼻息は荒くないが。
「困ったことに起きたら生えていた。ナンセンスだぜ」
 そう言って魔理沙は頭上の犬耳をいじった。
「ささ、触ってみてもいいかしら?」

 フンスフンスフンス。

 重ねるが鼻息は荒くない。流石だよな都会派。
「やさしくしてくれよ?」
 アリスは恐る恐る手を伸ばし、犬耳に触れた。
「あっ……」
 ぴくん、と震えて鼻にかかった声を出す魔理沙。
 顔面を赤熱化させてびくっとするアリス。
「へへ、ヘンな声出さないでよ!」
「すまん、慣れない感覚だったもんでつい」
 ドキドキしながらアリスは再び犬耳に手を伸ばした。
 そっと触れる。
「んっ」と魔理沙が身じろぎした。
「感覚はあるのね」
 犬耳を撫でながらアリスは言った。
「ああ。不思議だぜ」
「心当たりは?」
「あるぜ。たぶん昨日の実験のせいだ」
「手伝うわ。くわしく教えてくれるかしら?」
「悪いな、助かるぜ。…ところで」
「ところで?」
「いつまで撫でてる気だ?」
「もうちょっと」





 二人は居間を整頓して、そこにお茶の支度をした。
「それで……心当たりのある実験っていうのは何なのかしら?」
 それで、のところでカップを傾けて、アリスは聞いた。
「使い魔を作ろうと思ったんだ。犬の」
「で、失敗してそうなったってこと?」
「犬の身体と魂を毛一掴みとエクトプラズムで代用したのがまずかったのかもしれないな」
 ずー、と気まずそうに紅茶をすする魔理沙。
「そりゃ失敗もするわよ。使い魔が出来ていたとしても、前脚だけしか出来なかったんじゃないかしら。材料が全然足りないもの」
「むー…………そうか」
「でも作成失敗で耳と尻尾が生えるなんて…」
「作成中にくしゃみしたんだ。で、エクトプラズムを少し被った」
「それが原因ね」
「恐らくな」
 二人はしばらく沈黙して紅茶を飲んだ。
「原因がわかれば後は簡単ね」
「おお?」
「魔理沙が使い魔作りで参考にした本に何か手掛かりがあるはずよ。おそらくだけど」

 二人は魔理沙の工房を引っくり返すようにして目的の本を見つけ出した。
 ――――たっぷり二時間掛かった。
「もっとちゃんと整頓しなさいよ」
「そのうちそうするぜ」
 本を開いて、この状況に対して役に立ちそうな記述をスミからスミまで探す。
 反復して何度も探したが、二人は何も役に立ちそうな記述を見つけられなかった。
「『魂固着中のエーテルは危険なので触れないように』……。もし触れた場合にはどうすればいいのかぐらい書いておけよ。PL法に引っかかるぜ」
 くしゃり、と魔理沙は頭を掻いた。
「……私の家にもこのケースで役に立ちそうな本はないわね」
「使えないぜ」
「魔理沙に言われたくないわ」
 二時間掛けて工房を引っ掻き回し、一時間掛けて丹念に書物を読んだ結果がコレである。
 そりゃ二人とも機嫌だって悪くなる。

「――アリス」
「なによ」
「弾幕ごっこだ」
「そろそろ言うと思ってたわ」
 幻想郷の少女達はストレスを溜めないのだ。





 箒に跨って魔理沙はふわりと飛び上がった。
 そのまま高度を上げて先行していたアリスと合わせる。
「いいかしら?」
 人形を展開してアリスが問う。
「いいぜ。いつでもきな」
 不敵に笑う魔理沙。被った帽子からはどういうわけか事の起こりの犬耳が突き出ている。

「いくわ。――操符『乙女文楽』」
 自称都会派らしいエレガントな振る舞いでアリスはスペルカードを発動させた。
 アリスから大弾が放たれ、魔理沙の眼前で弾ける。弾けた大弾から人形たちが飛び出し、一斉にレーザーと弾を放つ。
「甘いぜ遅いぜ当たらないぜ!」
 犬耳をピンと立てて魔理沙は、レーザーの合間を掻い潜り、弾幕の隙間を潜り抜け、かわしてのけた。
「お返しいくぜ!」
 魔理沙は魔力を込めて右手を突き出した。掌からレーザーが放たれる。
 ――――はずだった。
「……ありゃ?」
 魔理沙は目をぱちくりさせている。
「何よ、どうかしたの?」
 攻撃の手を止めてアリスが近づいてきた。
 右手を見つめながら開いたり閉じたりして、
「レーザーが、出ない……」
 魔理沙は言った。

 マジックミサイル、マジックナパーム、ストリームレーザーにイリュージョンレーザー。
 ミルキーウェイ、マスタースパークにファイナルスパーク。
 その他諸々のスペルカード、及び弾幕ごっこに使えそうな飛び道具系魔法。
 ――――全て、魔理沙は使えなくなっていた。

「……まいったぜ」
「やっぱりその耳のせいかしら」
 つんつんと帽子から突き出ている耳を触るアリス。
 気のせいか、毛の色つやが良くなっているように見える。
「たぶんそうだぜ。魔法を使おうとすると別のところに魔力が流れていくような感じがした」
 まいったぜ、と魔理沙は帽子ごと頭を押さえた。
「本当。まいっちゃうわね」
 アリスも困った様子で肩をすくめた。
「打撃を強化したり、飛んだりする分には平気なんだけどな……。弾幕が張れないのは痛いぜ」
 少女が一人で幻想郷を渡っていくのに、弾幕なしというのは大分心許無い。
「や〜れやれだぜ。これは紅魔館の図書館にいくしかないな」
「…………それしかないわね。ここじゃこれ以上情報は増えそうにないし」
 先の三時間の悪戦苦闘でも、こんな症例の情報は得られなかった。
 ならば、というわけだ。





 魔法の森を颯爽と後にした魔理沙とアリスの二人は特にこれといった障害に阻まれることなく紅魔館に辿り付き、正面から図書館へ入館した。
「邪魔するぜ」
 魔理沙がドアを開けて一歩踏み入れるなり、
「待ちなさい。門番はどうしたのよ?」
 どこからとなく図書館の主であるパチュリー・ノーレッジの声がした。
「湖で水泳中だ。素潜り世界新に挑戦中だぜ」
「上昇してきたところを有無を言わさず箒で叩き落されてね」
 しれっと言う禁呪の詠唱チーム。
「相変わらず役に立たないわね」
 冷たく言ってどこからとなくパチュリーが飛んできた。万年寝巻き少女の異名通りにネグリジェで。
「何よ。また本を盗りに来…………た……の……?」
「どうしたパチュリー。死んだはずの仇敵にでも出くわしたみたいな顔して」
「魔理沙、今自分がどんな状況なのか忘れた?」
「おおぅ。すっかり忘れてたぜ」
「それ……何の冗談?」
 パチュリーの視線の先には魔理沙の帽子からちょこんと突き出た毛並みの良いふさふさの犬耳。
「かわいいだろ」
 ニッと笑う魔理沙。
「そ、そうね。とっても」
 顔を赤らめて同意する図書館の主。
「さ、触っていいかしら?」
「あー。どうぞだぜ」
 魔理沙がひょいと帽子を脱ぐと金髪に混じってふさふさの犬耳が自己主張をしている。
 心臓をどきどきさせながらパチュリーは手を伸ばし、そっと指先で撫ぜた。
「ぁ……」
 魔理沙が身体を震わせ、鼻にかかった声を立てた。
 アリスのときと同じ轍を踏んだのだ。
「ちょ、……あっ、ぱちゅ……んぅ……ぁ、や、……待っ、ふあぁ……」
 アリスの時と違ったのはパチュリーの反応だった。
 びくびくと身体を粟立てる魔理沙にキちゃったのか両手を伸ばして犬耳を撫でくるパチュリー。
「ひゃんっ! パチュ、リ……ちょ、ぁ……っ、やめぇ……」
 さらにパチュリーは犬耳の中に細い指を這い入れてより敏感な中をくすぐる。
 未知の感覚に魔理沙のか細い抗議の声はかき消され……。
「魔理沙……」
 パチュリーは犬耳から与えられる感覚に顔を潤ませる魔理沙の顔に自分の顔を近づけ、
「そこまでっ!」
 顔を赤熱化させたアリスの46センチマーガトロイド砲(要はドロップキック)でぶっ飛ばされた。
 ぶっ飛ばされたパチュリーは本棚の影からワクワク覗いていた小悪魔を巻き込み、ゴロゴロ転がって本棚にぶつかり、整頓不精でテキトウに積まれていた本がバラバラ盛大に降ってきて、――埋もれた。
「やりすぎよ! ……私だってガマンしたのに」
 前半怒鳴って後半小声でアリス。
「すまん、アリス……助かった」
 はぁ……はぁ……と息を吐きつつ自分を抱きながら魔理沙は礼を言った。
 ほんのり上気して涙目の表情がマスタースパーク級の威力を発揮している。
「魔理沙ぁ!」と叫んで押し倒して恋と劣情のアーティフルサクリファイスに移行し掛けるも、アリスは辛うじて踏み止まった。グレイズ600オーバーぐらいで。
「うぅ……パチュリーのやつ、やりすぎだぜ。まだ背中がぞくぞくする」
 帽子を被って隠そうとするもも何故か犬耳はちょこんと突き出てしまう。
「むぅ……改めて思うんだがどーなってるんだこれ?」
「それを今から調べるんでしょうが」
「とりあえずお前が蹴り飛ばした図書館の目録を掘り起こすか」
 図書館の目録ことパチュリー&小悪魔を本の山から発掘すべく、魔理沙とアリスは作業にとりかかった。
「……これだけの量の本に埋もれて、生きてるのかしら」
「本の山で圧死か。あの二人にとって望みの死に方だろうな」
 軽口を叩きながら二人は本の山を崩していく。
 そのうちに黒い布地が見えてきた。
 ずるずる引っ張ると赤毛に悪魔の羽の司書がでてきた。
「きゅぅ〜〜」
 伸びている。目はうずまきで。
「起きろ目録A」
「起きなさい目録A」
 二人は発掘の手を止めて小悪魔をいじりだした。もちろん気付けのためである。
 ――面白そうだからではない。
「編み上げ靴か。アリスとおそろいだな」
「スカートの中は黒のガーターストッキングに同色のショーツ。黒ずくめね。ショーツの刺繍の『Honi soit qui mal y pense』って、何かしら?」
 『思い邪なる者に災いあれ』の意なのだが、魔法使い二人には効果がないっぽい。
「ところでアリス」
「何?」
「小悪魔、って名前の割に胸は小さくないように思うんだがどうだろう」
「そうね。私の見立てでは小さいようには見えないわね」
「後学のために実際のサイズを確かめておくべきだと思うんだがどうだろう」
「そうね。私もそう思うわ」
「ではさっそく……」
 ベストの前を開けて、ブラウスのボタンを一つ二つ外したところで。
「ふ……えくちっ! ……はっ」
 かわいらしいくしゃみ一つを伴って小悪魔は覚醒した。
 ガーターストッキング着用とはいえ、ロングスカートを盛大にめくりあげられっぱなしじゃ寒い。
「…………」
 目をぱちくりさせて二人を見る小悪魔。そしてやおら自分の状況に気付く。
「な、なにしやがってるんですか二人とも」
「気付けだぜ」
「介抱よ」
 小悪魔の知識の中に気付けと介抱でスカートをめくる文化はない。
「私には寝込みを襲われてるように思えるんですけど」
 客観的に見ても襲っているようにしか見えない。
「気のせいだぜ」
「気のせいよ」
 にこやかに否定して証拠隠滅とばかりに小悪魔の服を元通りに整えていく二人。――証拠隠滅完了。
「かなりの量の本雪崩だったわね。大丈夫?」
「は、はい。どうにか」
「じゃ手伝ってくれ。目録Bを掘り起こすぜ」
 強い(こわい)笑顔で小悪魔を封じて二人は発掘を再開する。
 そのうちに虚空を掴む白い手が現れた。
「………つ、潰れちゃってませんよね」
「知識と日陰の少女、図書館にで本雪崩で圧死……か」
「気絶してるだけでしょ。さっさと掘り起こすわよ。魔理沙そっち掘って」
「おう」
 魔理沙が白い手にお尻を向けて発掘を再開した。黒いスカートを透過してふさふさの犬尻尾が踊っている。
 アリス、魔理沙、小悪魔。
 三人とも発掘に集中して白い手が蠢いていることに気付かない。そして――。
「ひひゃっ!?」
 白い手は魔理沙のお尻から生えた犬尻尾を捕らえた。さらにふさふさしたそれをやわやわと握ったり揉んだりと。
「ひゃぅっ! やめっ、あっ、くすぐった……あんっ!」
 かくんと膝が抜けてしまう魔理沙。さらに調子に乗る手。
「ああっ、そこ、だめ、んっ!」
 四つん這いになって尻尾を蹂躪される魔理沙を救うべく、アリスの23センチブーツが火を噴いた。細くて白い腕を蹴り飛ばし、魔理沙を引き離す。
 ツカツカと手に歩み寄って大根でも引っこ抜くかのごとく腕を掴み、全身のバネを使って本の山からパチュリーを引きずり出した。
「……痛いじゃない。何するのよ」
「雪崩から手だけ出して何やってるのよあんたは」
「…………イ・イ・コ・ト」
 ぱちゅん、とウインクをしてみせるパチュリー。もちろん台詞にあわせて人差し指を振ることも忘れない。
「何が『イ・イ・コ・ト』よ!」
 アリスはパチュリーの両肩を掴み、左手で押し、右手で引いた。パチュリーはぐるんとその場で半回転してアリスに背中を向ける形になる。パチュリーの細い胴体に両腕をまわし、しっかりと捕らえて、
「ファア!!」
 アリスは『アーティフルサクリファイスープレックス』をカマした。どごん、という音がして一瞬図書館が揺れた。
「むきゅう……」
 カマしたまま動かないアリスに小悪魔が駆けより、おもむろに両膝を突いて床を叩き始めた。
「ワン! ツー! スリー!」
 どこからとなく鳴り響くゴングの音。
 アリスはホールドを解いてパチュリーを解放した。
 パチュリーに目もくれず、小悪魔はアリスを立たせてその右手を上げた。
「一体なんなのかしら。このサバトは……」
 疲れというか呆れ混じりの声。誰あろう、紅魔館のメイド長十六夜咲夜であった。
 手にはゴング。さっきのは彼女の仕業だったらしい。
「……魔女たちの肉体言語的宴だぜ」
 立ち上がってお尻と尻尾を撫でながら魔理沙。今日は顔を赤くしてばかりだ。
「そう。……ところで私にも触ら」
「だがことわる」
「ケチね」
「触られる身にもなれ。ところで一体何時湧いた」
「人を虫みたいに言うな。ほんのついさっきよ。圧壊寸前まで沈降した門番が浮上して連絡してきたのよ」
「そうか。それでおもてなしの支度をしてきたと、こういうわけだな」
 何時の間にやら図書館のテーブルの一角が整頓されて、ティーセットがスタンバイされていた。
「とりあえず飲みながら説明を……小悪魔、パチュリーのやつ魂が出てるぜ」
 あたふたとパチュリーの口に魂を押し込む小悪魔と、人形たちに手を叩かせて悦に浸るアリス、自分を見て顔に『お持ち帰りぃぃ』と書く咲夜をよそに魔理沙はテーブルについた。





 紅茶とお茶請けに舌鼓を打ちつつ、魔理沙は今自分に起こっていることと、その始まりから経過をパチュリーと小悪魔に説明した。その姿は医師の診察を受ける患者の様で、『ふむふむ。じゃあ触診するから服を脱ぎなさい』などと医師役のパチュリーが言っても通るかに思われた。(実際に言ったところアリスに『首吊り蓬莱人形固め』をかけられエラい目に遭った)
「…………で、こいつをどうにかするための資料が欲しいんだが心当たりはあるか?」
「あるわ」
 即答だった。
「教えてくれ」
「それは嫌」
 これまた即答だった。
「……理由を聞かせて欲しいんだが」
「かわいいからよ。魔理沙」
「いや、メイド長には聞いてないんだが」
「失礼」
 魔理沙は背後から(特に臀部の辺りに)薄ら寒い視線にを感じた。気のせいということにしたい。
「で、理由は?」
「治すのが勿体無いからよ」
「私にしてみれば弾幕のできないのは死活問題なんだがな」
 静かな怒りを込めて魔理沙はパチュリーを睨んだ。
「問題ないわ」
「問題大有りだ」
「私は弾幕できて、魔理沙はできない。つまり……容易く私のものにできるぶしあ」
 ロケットパンチよろしくアリスの袖口から飛び出した人形がパチュリーを強襲した。左肩でのタックルから右ソバットのコンビネーションを叩き込み、ソバットの勢いでアリスの袖口に戻った。
「ご苦労様。『赤い彗星の公国人形』」
 労いの言葉をかけて上品に紅茶を啜るアリス。
「忘れてるようだから言うけどな、物理攻撃強化はできるからな。そうそう遅れは取らないぜ」
「聞こえてないみたいですわ」
 パチュリーは座ったまま目を渦巻きにしていた。まず間違いなく少女気絶中である。
「やれやれ。パチュリーの世迷い事はおいておいて。目録A。お前はその資料の所在は知ってるのかえ?」
 ぴっとティースプーンでパチュリーの背後に控えていた小悪魔を指す魔理沙。
「ええ。知ってますよ」
 考えていないのか考えているのか、主の意向にあっさり背く従者。
 しょうしゃぶんとちゅうせいしんがたりない。
「じゃさっくり教えてもらえるよな?」
 凄みの効いた笑みで魔理沙は問うた。
 断った日には小悪魔の命はなさそうである。
「えぇ〜……と。それは……」
 助けを求めるように小悪魔はパチュリーと咲夜を代わる代わる見る。
 パチュリー目下気絶中。基礎体力が平均値を大きく下回っているが故に復帰にはまだまだ掛かる見込み。
 咲夜はにこやかに微笑みつつ、時折手の陰から銀光をちらつかせている。
(ど、どうしよう……)
 どっちを選んでも痛い目を見る選択肢が小悪魔の前に浮かび上がる。

 ――教えた場合。
 魔理沙達が去った後で咲夜から”何か”される。パチュリーが復活し次第さらに”ナニか”される。
 ――教えなかった場合。
 疾風怒濤の魔理沙に『シュトゥルム・ウント・ドランク』な攻撃をされるっぽい。

 ふと、小悪魔は何かが気に掛かった。一票、否、一人足りない。
 気になってアリスに視線をやると、目が合った。そしてにっこりと微笑みかけられ、
 ――うなじに当たる冷たい感触に気付いた。

 こ・え・を・た・て・る・な。

 アリスが口の動きで言った。
(い、何時の間に……!)
 小悪魔の背中には誰の目にも触れないように一体の人形が取り付いていた。迷彩色の野戦服を着て頭にはグリーンベレー、手にはグルカナイフを持っている。
 時折うなじに当たる冷たい感触がそろそろと上下するのが小悪魔の心臓に非常によろしくない。
(ああ。アスタロト様、ルシファー様、ネビロス様、サマエル様。私、何かしましたか?)
 心の中で歴代魔界の覇者に問い掛ける小悪魔。道中の赤い魔物の方が遥かに強いよね、とか思ってごめんなさい。
「さあ! 選べ小悪魔! 痛い目見てから教えるか、素直に教えて痛い目を見るか! さあさあさあさあさあ!」
 魔理沙が帽子の鍔を指先で押し上げ、不敵に笑って詰めてくる。
 どっちにしろ痛い目を見るのは確定らしい。
(……ここでへたり込んでおしっこ漏らしたら許してもらえるかな……)
 小悪魔は司書としては、というか少女としてあるまじき行為を検討するという、半ば自棄な逃避へ走り始めていた。
 そのまま思考に逃避して意識を落とそうと試みる小悪魔を、うなじに走った痛みが引き戻した。
 ちくり、とした極めて小さい痛みではあったが明らかなアプローチだった。
 アリスを見る。

 は・や・く・し・ろ。

 小悪魔は天井を見上げて目を閉じた。ぶわ、と涙が目じりから流れていく。
「……教えまひゅ……ひく……ぐすっ」
 禁呪の詠唱チームのプレッシャーは紅魔館のメイドさんより強かった。





 資料の所在地を魔理沙とアリスに自供して五秒で小悪魔は図書館から姿を消した。――もとい消された。
 ティーセットと咲夜も消えていたのでどうなっているのかは大体想像がつく。
「やれやれ、同情するぜ」
「だったら少しは本盗るのやめたら?」
「それはそれ。これはこれ。――お、これか?」
 小悪魔最後の言葉の通りの本棚を漁り、そこから魔理沙は資料となる書物を引き出した。
 さっそく開くとバラバラと書物からメモやレポートが零れ落ちた。
 拾って見ると、そこにはパチュリーのものとおぼしき字で考察や実験経過などが書かれていた。
「とりあえず日付順に並べて見てみた方がいいんじゃないかしら?」
「そうだな。資料はこれでいいみたいだし一旦戻ろうぜ」

 二人が戻ると、服の至る所を裂かれ、破かれた小悪魔が絨毯に座り込んでさめざめと泣いていた。
「ひぐ……ぐす……っ……うぅ……えぐっ……すんっ……」
「…………」
「…………」
 ちょっとハードな弾幕ごっこの後と同程度の服の損傷なのだが、なんというか雰囲気的に居たたまれない。
 小悪魔をフォロー、慰めたりする立場のパチュリーは気絶どころかテーブルに突っ伏して寝ている始末。
 魔理沙は頭を掻くと、資料をテーブルに置いてスカートのポケットに手を入れた。しばらくごそごそと探って、何かを掴み引き出した。ずるずるずると。
 何だろう、毛布である。
「……あんたどこにそんなものを」
「乙女の嗜みだぜ」
「そんな嗜み聞いたこと無いわ」
 魔理沙はぐすぐすと泣き続ける小悪魔の肩に背中から毛布を掛けた。
 涙に濡れた顔で小悪魔は魔理沙を見上げた。
「悪いな、迷惑かけるぜ」
 帽子を小悪魔の顔の上にぽすっと落とす魔理沙。
「あんまり泣くな。可愛い顔が台無しだぜ」
「う〜〜……」
 魔理沙の帽子で顔を隠して掛けられた毛布で身体を抱くようにして小悪魔はそれっきり泣き止んだ。
「……無自覚恋色魔砲使い」
「ん、何か言ったかアリス?」
「別に」
「そうか。それじゃさくっとやろうぜ」
 それぞれ題名付けをされてまとめられたレポートをテーブルに並べた。メモや、バラのレポートは適当に並べておく。
「さて、何が書いてあるのかな」
 魔理沙とアリスは『発端、経過、結果』と書かれたレポートに目を落とした。

『○月×日 天気不明
 ふと思い立って使い魔を作ることにした。普通に作っても面白くないし、面倒くさいので手近な材料と応用理論で作ることにする。
 ベースになる小動物にたまたまあった猫の毛を使う。足りない分は猫の毛から情報を得てエクトプラズムで編むことにした。
 細々とした他の材料も集めて術式開始。
 ――――失敗。猫の毛で鼻がむずむずしてくしゃみをしたせいだ。理論は間違っていなかったはず。
 形状を得ていなかったエクトプラズムの断片を被ってしまった。白くてねとねとして気持ち悪い』

『○月△日 天気不明
 困った。目が覚めたら猫のものと思われる耳と尻尾が生えていた。触れるとなんともいえない感覚が身体に走る。
 気が付くとかなりの時間が経っていた。やれやれ。
 小悪魔を呼びつけると鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せた。軽食の用意を頼んでしばらく待つ。
 図書館内を毛玉がふわふわしていたのでなんとなく撃ち落そうとして、魔力が放出できないことに気付いた。これは由々しき事態だ。
 一通りの種類の魔術を行使したところ、魔力を放出する類のことができなくなっているらしい。原因は恐らくこの耳と尻尾だろう。
 困った。どうしたものだろう』

『○月□日 天気不明
 試行錯誤の結果、耳と尻尾が放出魔力を吸っているのは間違いないことがわかった。問題はどうやってこれらを取り払うかだ。
 物理的に切除する案は真っ先に除外した。痛いし、植物の様に根を張っているとした根を取り除くために抉らなくてはならない。根の深さも不明だ。そもそもそんな真似ができるような人材が居ない。よって除外。
 エクトプラズムを分解する魔法薬を用いて体内から治療することにする。これなら根が張っていても問題ないし、痛くもないだろう。たぶん。
 一日がかりで分解薬を作り上げる。別紙にレシピを記したところで疲れたので体力の回復を待って服薬することにする』

『○月◇日 天気不明
 不測の事態に備えるだけの体力も回復したので分解薬を服薬する。自分で身動きが取れなくなることも想定して同室に小悪魔も呼び出しておいた。もしものときにはきっとうまくやってくれるだろう。
 服薬して数分で身体が熱くなってきた。これは想定済みだ。薬の成分がエクトプラズムを分解するときに熱を伴うのだ。あとはこの反応が終わればこの耳と尻尾とはおさらばだ。放出系の魔力行使も再び使えるようになる。反応終了までにレポートをまとめてしまおう。
 服薬から十分経過。身体が熱い。熱を持っている。この感覚は(ここから先は破れていて読めない)』

「……これ、私がやった実験と同一だな」
「しかも失敗まで同じみたいね」
「つまり分解薬を飲めば治るってことだ」
「でも結果は最後まで書かれてないわよ」
「そこにいるパチュリーに猫の耳も尻尾もないだろ。つまり治るってことだぜ」
「……うーん」
「案ずるより産むが易しだぜ。さてレシピの書かれた別紙はどこだ?」
 メモとバラのレポートを魔理沙は調べ始めた。
「何か腑に落ちないのよね」
 アリスは呟いた。





 パチュリーが気絶しているのを良い事に魔理沙は材料と道具を拝借して分解薬の作成に取り掛かった。
 材料と道具は小悪魔が用意した。「帽子と毛布のお礼です」とのことだが、元々の原因を辿るとそこに恩を感じるのはどうなのだろうか。
「ほい、できあがり」
「早いわね」
「レシピがあるからな。楽なもんだぜ。ではさっそく……」
 魔理沙は白いタブレット状のエクトプラズム分解薬を口に放り込み、水で飲み込んだ。あと数分で身体が熱くなり、その熱が引くと同時に耳と尻尾が消えて、再び弾幕が可能になる。
「さて、しばらくゆっくり読書と洒落込もうかね」
 魔理沙が椅子に座り、本を広げたところで、
「…………飲んだわね」
 突っ伏していた白と紫の塊がぞぅっとするような声を出した。
「お、起きたのかパチュリー」
 物怖じして後ずさる小悪魔とアリスとは対照的にからっとしている魔理沙。
「小悪魔がガチャガチャ道具を運ぶ音でね」
 パチュリーに目を向けられ、あうあう、とうろたえる小悪魔。
「それについてはいいわ。それより……あの薬、飲んだのね? 魔理沙」
「ああ、しっかり飲んだぜ」
「結構。……小悪魔、アリス。ちょっと来て」
 二人を呼び寄せて小声で何事か話すパチュリー。魔理沙には距離があるのと、読書に意識を向けていることもあって聞き取れない。
「ええっ!? アレってそういうことだっもが」
「あ〜、なんだ? どうかしたのか?」
「な、なんでもありませんよ。ごゆっくり読書を」
「そか」
 頓狂な声を出したアリスの口を素早く塞いで背後に隠し、小悪魔は誤魔化した。
「――――さて、そういうわけなんだけど、アリス。あなたはどうするの?」
「えと……ええっと……」
「きょ、興味はあるけど……」
「知識欲を満たして喜べるのは知恵のあるものに与えられた特権よ。折角の機会、逃したら次は来ないかもしれないわね」
「うぅ……」
「大丈夫よ。恐れることなんて何もないわ。魔理沙を治療するためには誰かがしなくちゃいけないんだから……」
「……協力するわ」
「あなたとはいい友達になれそうね」
 そっとパチュリーが差し出した手をアリスは握り返した。
「さて……そろそろ」
 ちらりと目をやってパチュリーは魔理沙のそばへ向かった。アリスと小悪魔も続く。
「どうも薬が効いてきたみたいだぜ。身体が熱っぽい」
 パチュリーを見上げて魔理沙。
「それはね魔理沙、身体が発情しているのよ」
「……なに?」
「あの薬の副作用でね、身体がそういう風になっちゃうの」
「じょっ、冗談だろ?」
「冗談じゃないわ。……現に」
 頬を赤く上気させた魔理沙の耳に手を伸ばし、ゆっくりと首筋までパチュリーは指を這わせた。
「っ! んっ……ぅん!」
「キてるでしょ」
 クス、と妖しく笑む。
「ぱ、パチュリー……」
 さっきまでのじゃじゃ馬さがなりを潜め、かよわい少女の空気を漂わせる魔理沙。
「小悪魔、出入り口を封鎖してきて。厳重にね」
「はいパチュリーさま。プロフェッショナルで封鎖します」
「結構。済んだら戻ってらっしゃい」
「……はい」
 顔を赤らめて飛んでいく小悪魔。
「あ、アリスっ」
 助けを求めるように魔理沙はアリスを呼んだ。
 アリスは魔理沙をパチュリーと挟むように移動して、自分を見上げる少女の頬に手を触れた。
「貸した魔導書の延長料代わりに、ね……?」
 顔を赤らめるアリス。
 霧雨魔理沙、孤立無援。

 図書館の扉に錠が下ろされた。





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