『In the library』





 古書の香りが満ちた空間に、ぺらりぱらりと紙の捲れる音がする。
 見渡す限りの地平を埋め尽くし立ち並ぶ本棚と、その中にみっしりと詰められた本に囲まれて、『パチュリー・ノーレッジ』は読書に耽っていた。
 パチュリーの住む紅魔館地下大図書館はその名の通りに半地下の構造となっている。此処には本を傷ませる陽光が差し込む事はなく、読書の妨げになる騒々しい音が飛び込むこともない。
 本と本を読む者にとって理想的な環境で、書物を山積みにした長机に向かい、今日も彼女はページを捲っている。本の傍にあるものこそが自分だと思っている彼女は、産まれてこのかた百年以上をこうやって知識の集積所で過ごしていた。
 使い魔の置いていった砂糖たっぷりのミルクティーを傍らに、パチュリーはページを送る。今日の読み物は小説だった。王道の亜種とでもいうべき恋愛小説だ。どういった展開と結末が待っているか、大凡の見当がつくような仕立ての話である。
 ぱらぱら、と紙の立てる音に、ふと別の音が混じった。
 ――空気を裂く飛翔音。
 地下でありながら空≠ニいう呼称が適する高みから聞こえてくる音に、パチュリーは栞を挟んで本を閉じた。そして空を見上げる。
 見慣れたシルエットが、エーテルの尾を曳いてこちらにむかってきていた。くん、と機首を捻って下げ、流星の如く降りてくる。墜落すると思いきや、床スレスレのところで機首を上げた。そのまま小さくループを描く。宙返りで速度を殺して、シルエットは軽やかに着陸した。
「よう、パチュリー」
「相変わらず派手な登場ね、魔理沙」
 黒いトンガリ帽子に同色のエプロンドレス。
 さっきまで跨っていた箒を左手に『霧雨魔理沙』が図書館に降り立っていた。勝手知ったるなんとやらでそばの本棚から一冊を手に取り、パチュリーの対面に座る。
「今日は何しに来たの?」
「パチュリーの顔を見に来た、なんてな」
 そう笑って魔理沙は帽子を置き、本を開いた。
 パチュリーもページを広げ、再び物語の中に潜る。
『影の刃』と呼ばれる義賊と箱入りの令嬢が織り成す恋愛模様を目で読み、追っていく。
 ひょんな手違いから令嬢のところに降り立った義賊は、夜毎に彼女の元に通うようになる。極度の箱入りだった令嬢はどこか神秘的にして純真無垢で、義賊を強く惹きつける。令嬢も、自分の知らない外の世界の事を語り聞かせてくれる義賊に心を惹かれていく。
 ――あとはお決まりの展開だ。
 最終的に義賊が政略結婚の式場から令嬢を盗み出してハッピーエンドで括られている。
 後書きまで舐めるように読んで、パチュリーは本を閉じた。
 読むには値する本だった。筋書きこそ王道のそれだが、細々とした書きぶりや描写が、読み手を物語の中に引き込み、そのまま話の最後まで逗留させてくれた。こういった奇を衒わない読み物はよい。以前読んだ推理小説はノックスの十戒もヴァン・ダインの二十則も踏みにじった挙句、よくわからない人の思いだのなんだので強引に解決してハッピーエンドにしてくれたので、その理不尽にパチュリーは大いに部屋を荒らしたものである。あんなものは推理小説とは言わない。――さておく。
 本を読み終えたパチュリーはちょっとした欲求を覚えていた。ちらりと視線を上げて対面の魔理沙を窺う。
 魔理沙は『R's MUSEUM』と銘打たれた本のページを、これといった表情を浮かべるでもなく送っていた。
「魔理沙」
 パチュリーの呼びかけに魔理沙が顔を上げる。
「ん?」
「頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
「ちゅっちゅさせなさい」
 藪から棒である。
「……いきなり何を言い出すんだお前は」
「本を読んでいて話の中に出てきた食べ物って、食べたくならない?」
 呆れたように言う魔理沙にパチュリーはとつとつと言葉を紡ぎだした。
「カリカリのベーコンをつけたメープルシロップたっぷりのふかふかパンケーキ。ぽわぽわのホイップクリームを挟んだチョコドーナッツ。ハム、チーズ、レタス、タマゴを挟んだふわふわマフィン。キュウリのサンドイッチ。強火でさっと焼いておろし生姜をかけた厚揚げ」
 食べ物の名前を並べながらパチュリーは長机の横を歩いて魔理沙の元へ回り込んだ。
「豚の脂身を煮込んだ缶詰。ホッカホカのジャガイモ。トロットロのバター。脂ののった茹でソーセージ。タンポポで作った代用コーヒー。コトコト煮込んだシチュー。黒々とした水面から湯気と香りを漂わせる苦味の利いたブラックコーヒー」
 椅子に座る魔理沙を見下ろし、紫の魔女は人差し指でつい、と黒白の魔法使いの唇に触れた。
「そういうわけでちゅっちゅしたくなったの」
「オーケー、分かった。なんで私なんだ?」
 魔理沙は降参とばかり、両手を軽く挙げてパチュリーに問う。
「貴女がいいからよ。霧雨魔理沙」
 齢で百を数え、魔理沙よりも遥かに先んじる魔法の使い手が柔らかな笑みを纏う。
「それと私が貴女に対して持っている貸しはちゅっちゅに換算して二時間と十七分と四十三秒分あるわ」
「そんなもんなのか? もっとあると思うんだが」
 貸し借りを持ち出して退路を塞ぎ、パチュリーはそっと顔を寄せた。金色の瞳が透ける紫水晶の瞳を見つめる。
「まぁそれだけの価値があるって事よ」
 その言葉を最後に二人の唇が近づく。
 魔法使い達はどちらとなく瞳を閉じて、唇を重ねた。

 パチュリーの唇は甘いミルクティーの味がした。







『霧雨ちゅっちゅ蒐』




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